講師なのに講演の依頼がこない理由

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いくつかあるが代表的なものをひとつあげると、売り込んでいないから。

例えばこういうことがある。あなたが、どこか、ひと前ではなす機会があったとする。今回の講演依頼がこない理由は最低限、あなたが講師であるということを誰かが知っていて、無料でも有料でも、ひと前で話す機会がある人という前提条件をつける。まったく、その機会が、まだない人は、それ以前の問題なので、それについてはまた書きます。

今回は、何らかの機会にあなたの講演やプレゼンを聞いて、しかも、それがいいと思ってくれて、さらに、今度是非お願いしたいと言っているにも関わらず、依頼がないケースについて書く。極めてまれなケースを出されてもと思う人と、おお、それってよくあるよと思う人がいる。

まれだなと思う人は、なんでもいいので、人の前でいい話をするという機会を増やすことに専念してもらうことにして、後者の人に必要な事を述べる。

なぜ、社交辞令的に終わってしまうのか。本当に感動して、とても良かったから、うちでも話してとなっているのにいつまでたっても依頼がこないのか。それには理由がある。

売り込んでないからである。そこはセールスとしてのアンテナを張り、金のニオイがするところでは、ニオイを嗅ぎつけないといけない。わたしの師匠も同じようなアドバイスをくれたが、それはおそらく守秘義務があるのでここではかけないので、本人に直接聞いていただきたい。

わたしの意見を述べるのは許可がいらないので書くとすると、売り込んでないからだ。いいよねと言われた時は最大の売り込みのチャンスである。鉄は時間を置けば置くほど冷えて硬くなる。熱が入っているうちにうたなければいけない。

どんな形でもいいから売り込もう。こんなんやっています、これくらいの値段で引き受けますと。よかっです、次回是非といわれたからとまってても、よほどでないと依頼はこない。あなたが、ものすごいではない限り、埋もれる、忘れられる。

のべつまくなく、ドアtoドアで、こんなセミナーありますよと売り込む必要はない、そういう営業の時代は終わった。だからといって、売り込むなというのではない、向こうが興味を持っている瞬間が見えたら迷わず飛び込もう、売り込もう。それが全て成功するとは限らないが、かなり高い割合で商談が決まる可能性がある。

マーケティングによって見込み客を、将来のお客様を目の前につれてくるまではいいが、最後の売り込みができなくてのがしているケースがままある。

そんなにだめか、売り込みは、セールスってそんなに卑劣な行為なのか。そんなことは決してない。考えていただきたい。何かを売ってくれと頼みに行って、べつに、おれは売る気がないけど、そんなに欲しいならいいよと言われるのと、ありがとうございます、買っていただけるんですか、是非おねがいします、と言われるのどっちがうれしいか。

買ってくれと売り込みまくるのは決してよくないが、売ってあげるよという完全に上から目線もどうなんだろうと思う。そんなにガツガツはしてないけど、買ってくださるなら、本当にありがとうございますという、微妙なバランスが必要だ。

両極端にわかれる。絶対に売り込みがいやだとしない人と、売り込みまくる人。どっちがいいだろう、バランスが大事だと思うのだがいかがだろう。

背中を押してもらえないと買えない人が一定数いるのはまちがいない。

あなたの講演が素晴らしいのに、あまり売れないのはそういう一面も含んでいるかもしれない。今一度考えていただくのはいいかも知れない。

ドブ板セールスやガテン系セールスなど、セールスを揶揄する言葉は多くあり、家のドアにも押し売りセールスお断りと貼っている家も多い。押し売りと同じあつかいになるほど、嫌われているセールスだが、売り込みがそんなに悪いのか、売るのがそんなに悪いのか、もう一度考えてみたい。

お金のニオイがするところでは、体に染み付いたセールス魂が動き出すのが、ちょっといやなのだが、それがないとモノは売れないからなとも思う。商売人は何かを売って生きている。セールスからは逃げられないと思うのだがいかがだろうか。