英語め、待ってろよ!

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英会話の力がどれくらいあるかを自分で判断するのは非常に難しいと言う話を、Facebookですこし書いたけど面白いのでここでも書きます。

自分の実力がどれくらいかをネィティブとの会話で判断しようとする。手軽に(ネィティブと話すこと自体が手軽でないので他に比べてと言う意味)行なうにはこれが手っ取り早い。例えば、毎年ハワイに行く。1年間勉強してきた。だから、去年に比べて、今年は随分と通じるし、相手の事も理解できる。いいぞ、レベルがあがった。

1年間勉強してきたし、通じる場面も多くなってきた、そして会話も続くようになってきた。間違いなくレベルがあがっている。それは間違いない。だけど、どれくらいあがっているかという判断がむずかしい。基準がはっきりしていないというのもあるが、おおきな問題は相手にある。

相手はあなたのレベルに合わせて、会話を調整しているからだ。意識的に時には無意識に。例えばこんなことがある。物を試着するとき。試着したい服を持って店員に聞く「May I try this on?」と。すると答えがかえってくる。このときのこっちの発音や慣れた感じを見て相手は答えを変えてくる。妻がバリバリのカタカナ発音で「メイアイトライディスオン」と聞くと、丁寧に解答してくれる。(接客がていないという意味ではない)

私が聞く。「メイアイ?」着たい服を持っているのでいちいちthis onをつけなかったりする。私の発音がいいかは別にして妻のカタカナより随分マシだし、「メイアイ?」とこなれた感じだし、このフレーズはよく使っているので、そんなにひどいものではない。

で案内され着終わって、サイズは気に行ったので他の色がないかと始める。すると、彼女は一気にネィティブのスピードとフレーズ、言い回しで話しだす。それに対して私がわかる範囲で答える。すると、ボロが出てくる。短いフレーズではネィティブ並みだった英語が、フレーズが長くなり発音があぶなくなってくると、彼女の英語が変わってくる。私にとって途端にわかりやすくなってくるのだ。

逆に考えるとわかりやすい。

例えばあなたがデーブスペクターやパックン・マックン(漫才コンビ)のパックンと話すとき、おそらく普通に話すでしょ。でも、海外からきた旅行者に京都駅で「スミマセン、キンカクジハアリマスカ?」と聞かれたら、わかりやすい日本語で丁寧に答えるでしょう。

母国語でもそうですよね。子供に話しかけるときは言葉を変えるでしょう。だから、判断がむずかしいんです。先ほどの私の例でもそうです。相手の言葉が急にわかるようになったのは相手がレベルを合わせてくれたからです。あるときに海外に行った時はものすごくわかったのに、今回は全然だった。だから英語の力が落ちたとは一概には言えないんです。

さらに言うと、これは無意識レベルに行なわれていることが多いので、ネィティブの相手も自分で調整していると感じないことなんです。先ほどのデーブやパックンと、旅行者ほどの差があれば意識的に変えますが、その間のレベルだと誰にもわからなくなるんです。だから、ネィティブの友達にお前の英語はほぼ完璧だと言われても、もしかしたらその友達もきづいていない事があるんです。

昔とてもおもしろいことがありました。私にはとても仲の良いカナディアンの友達がいます。英会話学校の先生で、そこで知り合ってから友達になりました。ゴルフにいったり家に遊びに行ったり飲みに行ったりしていました。彼は3年ほど日本にいて今はカナダに帰りました。

彼は日本語あまりとくいではないので英語で話していました。彼の話しはほぼ理解でき、彼も私の英語力はかなり高い、俺が普通に喋っても操は理解できると言っていました。実際に彼が彼女(同じくカナダ人)と話している(ネィティブ同志)のと同じ感じで、私にも話してくるので、お世事ではないのがわかりました。あとは語彙力だけだと言われ、がんばっていました。

実際に彼が彼女と私に話しかける英語がまったくおなじなので、私もとてもうれしかったのです。ところがです、ある日、彼が私にいいました。それは、彼が一時帰国でカナダに行っていて、日本に再び来た時の事でした。

「操、ごめん。違った。俺の英語がめちゃくちゃやばくなってた。カナダのつれに笑われた。なんやその英語わって。俺の英語かなりへんらしいって」

彼は日本に滞在し、日本人にわかりやすい英語を話し、日本人の英語をたくさん聞いているうちに英語が変化していったらしいのです。当然彼は気づいていません。きづいてないからそのままカナダの友達につかったんです。すると、かなり笑われたと。そのことを、他の英語の先生に聞いたら、みな同じような経験があるということなんです。

彼ら自身が気づいていないのです。だから非常に難しいんです。みなさま自身で英語のレベルを判断するのは。

これは、だから本場に行って英語を習えとか、ネィティブとたくさん話せ、日本にいて英会話学校に行っても無駄ですよ、と言ってるのでは全然ないのです。

英語はひたすら勉強するしかないのです。勉強を続けることで見えることがあるのです。これくらい話せるからこのレベルというのではなく、あなたが英語を勉強していたら、向こうからこれくらいのレベルですよと言ってくれるんです。

自分が持っている定規を持っていけばものの長さははかれます。でもその定規が正しく正確かが英語の場合わからないんです。ただしく英語をはかる定規がなかなかないのではないでしょうか。

ゴルフクラブってありますよね。あれってシャフト(棒の事)がいろいろ種類があるんです。硬さやしなりかた、重さ、どこでしなるのか、ねじれ。などなど。そのシャフトが持つ特性がさまざまなんです。プレーヤーは自分に合うシャフトを探すために試し打ちをします。その試し打ち、1発目が勝負なんです。

1発振ると、体はそのシャフトにあった振り方をしようとするために正確な判断が出来なくなるんです。もっというと、グリップを握ってヘッドを浮かせただけで、重さや硬さに対して体が反応するらしいんです。

なのでヘッドを持ちあげずに試打室まで持って行って、シャフトを感じないまま打つのが一番よいらしいんです。

あなたが一言発した瞬間に、ネィティブスピーカーは調整をはじめます。彼らがあなたの英語力をはかるメジャーにならないと言うのはそういう理由からです。

今回、向こうのギャルみたいな子達と話す機会がありました。最初なにを話してるのかまったくわからなかった。きっと「半端なくねえとか、ちげくねえ」とか言ってるんだと思います。わざわざスラングを学べとか、ビジネスで使えてもストリートでは話せないよとか言ってるのではありません。

正しく英語を学び正しく話せたらそれでいいんです。外国の方が正しく日本語を学ばれ、正確な美しい日本語を話されるのを聞くと、こちらがはずかしくなります。そうとうな努力でまなばれたのだなと尊敬してしまいます。だから、英語もそのように学べばいいんです。

今回の記事には結論がありません。これを伝えたいというものも特にないです。今の私がおかれている状況。英語勉強中で霧の中と言う感じが文章にあらわれています。おそらくもっと勉強しないと霧は晴れません。やり方は解っています。あとは単純に量です。

パックンやデーブの日本語使いこなしレベルまで、英語力をあげるのが私の目標です。そこまでいけばきりがきっと晴れるでしょう。

乱筆失礼します。思いのままキーボードを打ちました。流れがよかったので校正なしです。失礼おば。