好きなことだけして生きていく方法1

シェアする

最初に言っておくが、好きなことだけして生きていくことって、簡単ではない。難しい。覚悟がないなら辞めておいたほうが無難だ。

好きなことだけをサラリーマンとしてできるなら、それは相当幸せであるといえる。まあ、好きなことだけして生きていくというのは、まあ、それはそのまま、すきな仕事でって意味になる。仕事がない休みのときに、のぞんで、好きでないことをする人はすくないだろうから、休みの時のことはこのさい考えない。なので好きな仕事をってことになるが、そうなると、どうしても独立とかフリーでってことになる。

そうなると大変だ。5年後の生存率はおそらく3割をきる。希望に燃えてはじめても10名中7名は失敗するという厳しい世界だ。とはいえ、これは起業全般にも言えることなので、どっちにしても失敗の確率は高いのだ。どうせだったら、好きなことのほうがええんちゃいますかってのが俺の意見。まあ、どうだっていいが、好きなことなんかで食っていけるかという意見も、じゃあ、嫌いなことでと、儲かりそうだからと始めても、結果に大差はないだろう。だめなときはだめだ。

で、まあ、それでもやるとして、絶対に必要な能力について書いていくが、まず最初にあげるのは

■きっちりしている

ということ。きっちりしていない、いい加減なやつは、辞めておいたほうがいい。フリーで始めると、顧客も含めて色々な人と関わり合いながら、生きていくことになる。そう考えたらわかると思う。だれがええ加減な奴と仕事したいだろうか。

いやっていうほど、いい加減な奴らと会ってきた。講師業をしていると私が言う。どういう事をされているのかと聞いてきたので、事細かく伝える。へー、すごいですね、今度是非、私が主催する会で講師としてお願いしますと言われる。おそらく社交辞令だが、そう言われた以上、対応しないわけにはいかない。社交辞令でない可能性もあるからだ。

おお、そうですか、ありがとうございます、うれしいですと言って、その場は別れた。そして、後日、その人と会う機会があったから、私は企画書を持っていった。こういうセミナー内容です、あなたののぞみにあうかしらという意味を込めて、フライヤーとかチラシにしたものをわたす。

「これ、この間依頼されていた企画です」
と手渡すと、
「え、これなんですか」
「先日お会いしたときに、講師をお願いしたいとおっしゃってたので、こういう内容のならできますよという、カリキュラムの概要です。詳細も必要ならまた送ります」
と言う。そんなこと言ったっけ、もし言ったとしても社交辞令やんって顔をしている。
「ごめんなさい、必要なかったですか、まあ、また機会があったらお願いします。邪魔じゃなければお持ち帰りください」
と嫌味たっぷりに言って帰ってきた。あきらかに、この人売りこんでるで、はりきってるでというような顔をしてたので、まあせめてもの抵抗だ。

こういう人とは仕事ができない。講師を本業にしている人間に対して、今度おねがいしますとなると、それはあきらかに依頼だ。仕事としては成立していないが、成立する可能性のあるやりとりだ。受けた側はスルーするわけにはいかないのだ。

でも、考えてみたらこれは依頼でもなんでもない。受け取ったほうが気にしすぎな感じがしないでもない。でも、私がそういう気分をいだくということは、もし、わたしが、誰かに対してやったら、その人は同じ気分を感じる可能性があるということだ。だから、わたしは社交辞令を言わなくなった。いけないときは、ごめん、行けないという。

あまりにもダイレクトだから、愛想がないやつだと言われるが、それでも事故は未然に防ぐことができる。ビジネスをやるなら、あいつは、無愛想でつきあいは悪いが、仕事はきっちりするよという印象のほうが、若干有利ではないかと思う。だから、わたしは、まだまだ完璧にはほどとおいが、出来る限り丁寧に、きっちりと仕事をしていこうと思っている。

好きなことにかぎらず、もしあなたが、フリーで仕事をしようと思うなら、必要十分すぎるほど、丁寧にやったほうがいい。そのほうが成功する確率があがる。もし、あなたがいい加減なら、まず、治してから、起業を考えよう。いい加減なやつと、一緒に仕事をしたいと思う人間など、おそらくひとりも存在しない。

クソ丁寧に生きていこう。