営業マンの美学

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「どうして入らないんだ」5年目中堅営業マン河村操は、ビッツの中でつぶやいた。

4月10日、ここはアンパイだろうと商談をおこなった店舗で、あっさりと断られた。この店舗の決算は3月。棚卸しがあるので、多くの店舗で決算時は商品を購入しない。在庫が資産になるからだ。それでも買ってもらおうと商談を繰り返すも、「決算やから無理や、来月な、来月」

その来月になった。「社長、4月になったら買ってくれるって」

「だから、取らないって言ってへんやろ、もうちょっと考えさせてくれって言うとるんよ」おかしい。この店は必ず決算明けの4月は買う。何かある。何かとらない理由があるんだ。今月の目標を達成するためにはこの店は外せない。なんとしても入れないと。

中堅なりかけ河村操は、いろいろ調査を開始した。他メーカーも探ってみた。「どう田中さん、もう商談終わった。」「終わったよ。」「とれた。」「いや、駄目。」「そっちわ。」「だめ」となった。何かな理由はと思っていたら、

「どうも、A社から今月大量に購入しようと思ってるらしいよ。2000ケース買うって。」「2000ケース?そんなに」だからか、A社からそれだけ買ったら他から買う余裕はなくなる。そうなったら、この店舗は早々にあきらめ、他の店舗で組み直さないといけない。

どうも策がないまま、他の店舗でも商談を続けていた。その日から3日たった4月13日他の店舗でA社の営業マンと出くわした。「おー久しぶり。どう?」河村操が声をかけた。このあたりはすっかり板についている。なにが板についているのか。そう、他社の営業と仲良くすることだ、河村操は例の一件以来(ご存知ない方はこちらの記事を参照ください)おおいに反省し、他のメーカーと積極的にコミュニケーションをとってきた。それにより、受けた恩恵は計り知れない。だからこんなことも平気で聞ける。

「そうそう、C店何やけど、あれ、坂田君の担当やんな」名前で呼ぶ。A社さんと呼ぶ人もいるがそれでは仲良くなれない。「はい、そうですけど、どうしたんですか。」河村操はズバッと聞く、

「あの店で今月D製品2000ケース入れるん」すこし、驚いたが坂田はすぐに「さすが、河村さん、はやいですねえ~」ここで嘘ついてもごまかしても、あまり意味のないことを知っている坂田は、「はい、その予定でした。でも、駄目になりました。やはり、数が多すぎるということだったので。」「まじか、ありがとう坂田君。またね」

あいかわらずだなあ、と言う顔で坂田は河村操が走り去るのを見ていた。

「社長、明日の3時から商談よろしいですか。」「おー河村君。商談ってなんや、まだ、見てないであの提案書。」「いやいや、さらによい条件が出たので、すこし修正したのを持っていきます。」「う~ん、まあええわ。3時半にして。」「わかりました。ありがとうございます。」

感触をつかんだ。これは、買うな、間違いない。社長とのつきあいがそろそろ3年になる。声のかんじ、受け答えである程度わかるようになってきた。それが、当たっているかどうかは実は問題でないのも河村操は知っている。そうだと思うことがより大切なのだと。

社長の電話を切った後、すぐに、電話した「まいど、田中。D店のA社の商談こけたらしいで。」「ほんまですか?」「ほんまや。今月入れるんやろ」「はい、入れます入れます。A社こけたんやったら、入れます。」田中は半分あきらめていたのだろう、入るかもわからないとなったので、やや興奮している。田中は続けた。「で、河村さん、いつですか」「明日の3時半や」「はやっ。さすがですね。わかりました。そしたら、俺は、、、」といったところで、遮るように河村操「ほんだらな、」と電話を切った。ほんだらなとは、関西弁。意味はさようならという意味だ。

田中は自分がアポをいつ入れるか、河村操に告げようとしていた。暗黙の了解とも言える部分だ。ここまでの流れを見てみよう。

田中が河村に情報を与えた。その情報を元に、河村は坂田から情報を得た。ぬけがけしようと思えば出来た。でも、河村は筋を通した。ここで筋を通した方が、今後自分が商売をやりやすくなるのを知っているからだ。業界は狭い。ぬけがけしても必ずわかる。

田中から情報を得たのに、自分だけそのメリットを享受するわけにはいかない。なので、田中に坂田がこけたことを伝えたのだ。その情報を得た田中。それを意気に感じた田中は、河村操より前に商談するわけにはいかない。さきに商談した方が有利なのだ。違うものを購入するとはいえ、店の予算があるからだ。

だから田中は、河村操の商談時期を聞いたのだ。そして、田中はその日時を、河村さんのあとに入れますよ。と言おうとした。田中が言おうとしているのを、知っていた河村操は電話を切ったのだ。やぼなこと言いっこなしだぜ、という感じである。営業マン同士の美学と言ったようなものだろうか。もし、それで、彼が、河村操より前に、商談をいれたのならそれはそれ。

営業マンの戦術として当然。どちらでも良かったのだ。おそらく河村操は、あのやろ~先に入れやがってとはならない。そこには全く執着していないのだ。

結局、河村操も田中も商談がきまり目標額を受注できた。田中の商談日は同じ日の4時半だった。商談を終え、事務所をでた河村操は、廊下の椅子に田中とその上司が座っているのを見つけた。

田中と上司に軽く会釈をし河村操は、店を後にした。

ライバルなので当然、残りの1席を争わないといけない事もある。でも、今回はそうではなかったというわけだ。

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