考える

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結局自分で考えるのが一番いい。自分で考えた結果なので責任は自分にある。望ましくない結果になったとしても他の人に左右されて行動した結果より遙かにましである。昨今、以前にもまして世の中にはありとあらゆる情報が蔓延している。調べようとすればすぐに調べられる。もちろん情報は玉石混交。あなたを上手くだまそうと手ぐすね引いている詐欺まがいのものはびこっている。

その詐欺だが回りから見たら詐欺でも本人にとったらそうでない場合がある。もはや何がよくて何が悪いかなんてわからない状況だ。

そんな状況から自分を守るには考えるのが一番だ。あなたが考えて回りから見たらあきらかな詐欺であるものに参加しようとしたとする。それは詐欺なのだがあなたは詐欺と思っていない。最善の結果ではないがあなたが考えて選んだのだからそこに大いな救いはある。

終わったあとにやっぱりあれは詐欺だっただまされたと解ってもあなたが考えて選んだ結果なので仕方がない。次に騙されないようにするにはどうすればいいのか。考える能力をあげればいいのだ。

考えて動いた結果考えるという能力をあげることにメリットがあるということを知ったのだ。人の判断によって道を選んだらその判断が正しかったとしても間違ってたとしても次に何かを選ぶときの足しにならない。

何かを判断するときに考える必要性が出てくるがそこで自分で考えるという癖をつけるのは大いに大切なことであると思う。

私は考えるのを仕事にエンターテインメントにするほど考えるのが好きで日々考えすぎているので苦痛でもなんでもないが、どうやら考えるのが面倒くさいという人もいるようだ。そういうかたに考えることのすばらしさやその方法を伝えることが出来たらそれってもしかしたら社会に貢献できることになるかも知れない。

そのためのプログラムを現在作成中。世に出せるものになるよう何とか形にしたい。