その言葉は通じているか

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全員に伝える事は難しいです。受け手の知識量と質が同じではないからです。これは知識が豊富で頭が良いとかあの人は何も知らないねえという事を言っているのではありません。

「タイトリストの913Dは903Dの機能に加えてフェースアングルとライ角を調整する機能もついたのでその組み合わせは500通りを超えたよ」
と言われても何の事かさっぱりわからないですよね。これは鯛とリスの新品種のはなしではなくゴルフ用具のはなしです。タイトリストという米国のメーカーが新製品を出しました。そこについている機能がすばらしいよってはなしです。

「腹部に強烈な違和感があるのだね。それは疝痛?それとも鈍痛?」
って3歳の子に聞いても泣きわめくだけですよね。
「けんちゃん、ポンポンいたいの?」
って聞かないと的確な答えが返ってこないですよね。

もちろんこんな事は体に染み付いていてコミュニケーションをとるときには普通に本能的に当たり前のように皆さん行なわれています。そうでないとコミュニケーションがとれません。

京都駅にぼーっと立っていると外国人観光客に道を聞かれます。英語で聞く方もおられますしたどたどしい日本語で聞いてこられる方もおられます。

「スミマセン、バスハドコカラノルカ」
俺はバスじゃなくJRで滋賀に帰るだけなのに何処から乗るかって聞かれても困るんですけどと脳の中でひととおりの、のりツッコミを終えたあと丁寧に答えます。
「ソコノカイダンヲオリマス、ソシテマッスグイキマス。ヒダリニアリマス」
「アリガトウゴザイマシタ」
と若いカップルはそちらに向かって行きました。
「そこの階段を降りてまっすぐ行ったら左手に見えるよ」
って言ったらたぶん通じない。ちなみに外国人にたどたどしい日本語で道を聞かれたらつられて「コノミチヲ、マスグ、、」となる人がいますが、それは決して間違いではありません、そのほうが伝わりやすいので本能的にそうなってるんですね。イントネーションとかリズムを相手にあわせてあげようとした結果なのです。

何かを伝えるとき、聞いている人、読んでいる人の知識の量と質をイメージし本能で行なっているというのは先ほどお伝えしましたがそれに加えて細部にわたり考えるとよりよいコミュニケーションがとれるのではないかと思います。

前回の記事。飲食店の従業員なら生中という言葉を当然知っているだろうというおごりがあった配慮に欠けた注文のしかただったかもしれませんね。