アドバイスを記憶、そして感謝。

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アドバイスをいただいたら、しっかり記憶し、永遠に感謝するという気持ちは持とうね。特に、自分からアドバイスを求めてアドバイスをもらったのに、それをないがしろにする人が多すぎるね。自戒の念も含めて書いておくね。

例えば自分がブログを始めたいとする。まあ、ブログを始めるのに特別な知識もいらないし、どうやって始めるかに関して言えば、情報はそこら中にあるので簡単に始められる。で、まあ、始める。

始めていると、色々難しいなあと思ってくる。どうやって記事を書いたらいいのか、構成は?とか。そうなると、他の人はどうやっているのか気になり始める。そして、すごいなあと思うブログにであう。積極的な人は、そこで、そのブロガーにアポイントをとり、見事にとれて、アドバイスをいただく。もちろん、その時は大いに感動し、感謝する。ここで、感謝しない人は終わっているが、そういう人はまずいない。

そして、そのアドバイスを参考に色々やっていると、だんだん書けるようになってくる。書けるようになってくると、目が肥えてくるので、最初にアドバイスをもらいに行ったそのブロガーが、実は思っているほどすごくないことがわかる。いや、すごいのだが、もっと凄い人がいることに気づく。

そして、アポをとれば会える事を知ったそいつは、再び、アポをとる。今度の人は、本当にすごい。自分も少し書けるようになってから出会った人なので、目利きになっている。会って話を聞いた。すごい、やっぱり凄い、天才だ。この人のようになりたい。そしてその人を崇拝する。そしてSNSに書くようになる。この人は凄い、色々教えてくれる、おれはしあわせだ、俺もがんばるぞ、目指すぞ〜。

さて、これをSNSでみた最初にアドバイスをしたブロガーはどう思うだろうか。器量が大きく、そんなことを気にしない人なら問題ないだろうが、普通は、あれ?俺のアドバイスはいらなかったのかなと思ってしまう。ああ、結局あの人にアドバイスをもらいに行ったのか、それなら、俺いらなくない?熱心に聞いてきたから、俺答えたのに、いらなかったんだってなる。

最初にアドバイスを求められたブロガーは、ちなみに私ではない。わたしのブログの運営は独特だからなのか、普通すぎるからなのか、わからないがあまりアドバイスを求められることはない。友だちのブロガーから聞いた話だ。

おなじような話は私もある。私はある会に所属している。その会に入会するには条件があり、条件をクリアして、さらに面接を受けて晴れて入会となる。わたしがそこに入っているのを知っている、知り合いが、わたしにアドバイスを求めてきた。どうやったら面談とおりますか?って、それこそ、事細かく、色々聞いてきたから、わたしの知る範囲で、アドバイスした。しかもわりと懇切丁寧にである。

大変参考になりました、ありがとうございました。とその時はお礼をくれたが、それからナシのつぶて。入ったのか、落ちたのか、そもそも応募したのかさえ、わからない。は〜、ってなる。アドバイスしたほうは覚えている。それからも自分が都合のいいときだけ、色々聞いてくるが、もう俺は答えない「知らん」と一言返事は一応する、大人だからね。

とまあ、書いたが、これらの例ほど明確ではなくても、この気持ちは忘れがち。初期の段階で、アドバイスをくださった人が、そんなにそのことに関してのスキルが高くなくて、今は、自分のほうがそれに詳しくなっていたとしても、その人がいなければ自分はここにはこれていないのだ。そういう感謝の思いは絶対に持っていないといけない。

私は若いころ、これで大失敗をしている。それいらい、できるだけ、その気持ちを持って接するようにしているが、これは本当に難しいスキルだ。子供が出来て、親になって、親の気持ちが始めて解ったというものに近いかも知れない。よほど意識しておかないと。

これを上手くやる方法は2つある。ひとつは記録すること。リストを作って、この件に関しては、いつ誰にアドバイスをもらったって書いておく。先日私は、自分が好きな音楽についてアドバイスをもらった。俺は、こういう楽曲がすきなんだけど、この人がすきなら、この人がきっと好きよ的な人教えてって聞いた。彼は、こころよく教えてくれた。彼に聞かなければ、私はその音楽を聞くことはきっとなかった。

情報量は無料だったが、これは大変な労力を削減できたことになる、感謝してもしきれないほどのもの。そう判断した私は、それをリストに加えた。

もうひとつの方法は、数を増やさない。やたらめったら聞くからそういうことになる。なんやねん、あいつってことにもなりかねない。その分野でひとりかふたりにだけアドバイスをうける覚悟で聞かないといけない。しっかり選定して聞く。もしそれが、まちがっててても、それは自分の責任。数を減らすということも方法のひとつ。

ある人を絶賛するということは、同時にそれ以外の人を評価していないという判断にもなる。注意しないといけない。自戒の念をこめて、ここに記しておく。