スーパー店員には愛がある

シェアする

カメラが欲しくて某大手量販店にいった。そのカメラは鍵のついたショーケースに飾られていた。欲しくてたまらない顔で見ていると店員さんが近づいてきた。「良かったらおっしゃってくださいね。鍵開けますので」と言ってくれた。詳しそうなので色々聞いてみた。おもに性能について聞いた。

「レンズは何mから何mですか。」「部屋のなかで動画をとりたいのですがもっと広角のレンズのほうがよいですか。」すると丁寧に「14m~140mです」「このレンズで充分対応できます」と答えてくれた。

質問がなくなるとその店員さんは「また良かったら声かけてください。鍵あけますので」私は「ありがとう」と言ったと同時に思った。この店では買わんとこ、と。

聞いた事に対して全て完璧に答えてくれるし、対応も丁寧なんです。はたから見ると申し分ないんですが、なんか違うんです。絶対に彼からは買わないでおこう。買ったら凄いさみしい思いをする。そう思ったんです。

なぜそう思ったのか。愛がないんです。私がこのカメラが欲しくて欲しくてたまらないというのがわからないんですね。で、私がどれくらいこのカメラについて詳しくて、またカメラに対する知識がどれほどなのかもわからないのか、興味がないのか知ろうとしないんですね。

そのカメラは買うと決めて買い物に行ってるんです。周りに比べてもおそらくそこが一番安いんです。でも私はこの店では買わないでおこうと決めたんです。好きなものを買うんだったら絶対に楽しい方がいいに決まっています。たのしく買いたいんです。その人に頼んで、お金を払うまでのやりとりを想像したら絶対に楽しくないんです。間違いなく丁寧で完璧な対応をするでしょうけど絶対に楽しくないんです。仕方ないですが、他の店で買うことにしました。値段はおそらく3000円くらい他店のほうが高いですが仕方ないです。

そんなことを考えながら、次の店に行こうと思った瞬間、後ろから声がしました。「良かったらおっしゃってくださいね。鍵開けますので。」振りかえるとそこには先ほどと違う店員さんが立っていた。さきほどとまったく同じ言葉だ。一字一句違っていない。なのに先ほどからある空気と全然違う。一気に暖かい空気に包まれた気がした。

違う空気を感じ取った私はもういちど聞いてみようと思った。同じ質問を投げかけてみようとしたた、その瞬間。「LUMIX のGH2ですよね。このカメラは絶対にいいですよ。何を主にとられるのですか」と先に聞いてきた。ショーケースの中には何台もカメラがある。なのに、その中の何を買うかを彼女は見ていたのだ。これは特に凄い技術とは思えない。私はよだれを垂らしながらそのカメラを凝視していたからだ。普通に神経を伸ばしていればきづく。でもこの普通がなかなか難しい。

愛だ。彼女は愛情を持って私の要求にこたえているのだ。きっとなんらかの目的があってこの人はこのカメラを欲しいんだ。でもすぐに店員を呼んで「ちょっと開けて」と言わない。この人はどのくらいのレベルなんだろう。性格はどうなんだろうか。ちょっと控えめなのか、慎重なのか優柔不断なのか。それを感じようと能力をフル稼働させている。しかもそれをお客さんに知られることなしに。

私は一気に話し始めた。「いや、実はこれで動画をとりたいんです。部屋の中でとるので広角が必要なんです。これって大丈夫ですかね」すると彼女は「はい、大丈夫です。14mmですので、充分対応できると思います。一眼レフで動画をとられるのは何か映像にこだわっておられるのですか。」と聞いてきた。動画って普通ビデオカメラで撮りますよね。なのに私はこのカメラでどうかをとりたいと言った。ビデオカメラでとれない表現でとりたいというのを彼女は察知したのだ。

このように自分がやりたいことに対してすこし食いこんできてもらうと俄然こっちも乗ってくる。このマインドについては過去のブログでも書いた。(話を釣る人)「いやいや実はね、一眼レフをつかって動画をとって配信している友達がいて、その映像がとても気に入ったんですよ。そしてその人にお薦めを聞いたらこれがいいって言うもんでね。」と言うと彼女「お友達がおすすめしているならこちらが絶対にいいと思いますよ。お友達の情報って凄いですからね。」言ってくれた。

ちょっと寂しくなった。あなたの意見も欲しかった。わたしはあなたから買いたいのだ。いつのまにか完全にこの店で買う気になっている。彼女は瞬間的に私のこころを察したのか「わたしなら絶対にこれ買います。機能が充実しています。これだけの機能でこの値段ならお買い得です。型はひとつ前になりますが、まったく問題ありません。」最後の背中を押してくれる。これが大事だと彼女は知っている。

言いわけがいるのだ。自分にとってこれほどの機能は必要か、高すぎないかというとき、迷っているときは必ず言いわけがいる。あなたがそんなに薦めるなら買うよ。となる。意外にここが出来ないセールスが多い。クロージング、最終的には営業側がお願いして買ってもらわないとお客様になんとなく買ってしまった感が残る。これは押し売りとは違う。押し売りは買わされた感がかなり残るが、かといって、最後にお客様だけに判断させてはだめなのだ、これは、買ってしまった感が残る。

そういう意味では彼女は完璧だった。「これもらいます」と決断した。カメラや家電製品はこのあとポイントの使い方、補償の延長など色々な手続きがあり結構時間と手間がかかる。でも、彼女とならそれも楽しめるだろう。

この企業は彼女に前述店員の何倍給料を払っているんだろうか。おそらくそんなに差はないはず。彼女のファンは私だけではないはず。つぎも何かが欲しかったら絶対に彼女を訪ねて行く。2割くらいの価格差なら彼女から買ってもいいとさえ思う。彼女がいったいどれくらいの利益を会社にもたらしているか企業は把握していない。おそらくそれをはかる評価制度はない。

そういう仕事があってもおもしろいかも。スカウトマン。彼女にいくらもらっているかを聞く。3倍だすという小売店があるので来ない。

小売店には、社長凄い店員さんがいますよ。3人分の給料だしても損はないですよ。たまに凄い店員さんがいる。そんな人を見ると本当にそう思う。店員さんとの関係にこれほどこだわるのは私だけかと思っていたらそうでもない。最近facebookでシェアされている「レジの店員さんのはなし」も同じことだ。そう思っている人も多いんだと知った。(私は変わり者なので自分の感性が人とは違うと言う疑いから入るので疑心暗疑になる。)

このレジの店員さんの話しは「いいね」が24700もついている。そんなに難しいことはしていない。相手の気持ちになり話しているだけ。しかもそれをするだけで、小売店にとっては奇跡のようなことがおこっている。価格競争にもまきこまれず、リピーターをとれるのに。なぜその教育に力を入れようとしないのか。

いやそんなことやってるに決まっている。でもそういう店員さんと出会うことが少ない。小売の乱立で価格競争により利益がそうとう薄くなっている。教育にお金をかけられないのかも。小売業の年収は他の業種に比べても高くない。給料が少ないのにそれほど必死で接客なんてやってられないというのもあるのかも知れない。

だから個人能力がすぐれたスーパー店員はたまにしか発生しないのか。

手頃な値段で確実に成果をだせる教育機関があれば需要はあるかも知れない。