世のため人のためは自分のため

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どうだ、これはないやろ。

これってどうなってんの?って考えるのが3度の飯より好きで5歳の頃から40年以上そうやって生きてきた。人の意見や本やその他の情報を鵜呑みにすることなく、それを媒体として活用し自分で考えて答えを出してきた。だから、当然それが間違っていることも多いし、その理論はもう2000年ほど前にジュリアス・シーザーが答えを出しているよとかがよくある。

先日も自ら4年以上もかかってたどり着いた地球理論が、大昔からあることわざひとことで言い表されていることに気づいた。地球理論は掘っていけば地下水脈みたいなのがあって、それが横に流れているから、結構何を掘ったって、本質は同じだよみたいな意味のものなんだけど、それは、全ての道はローマに続く、ということわざで言い表されている。

まあ、それでも逆に考えるとそこに自力でたどりついたというのは一定の評価をえられるんじゃないかなと思う。まあ、これはもう性なので、これからも続けていくことになるし、現在も続けている。そんなので、また発見した。これはきっと誰も言ってない。学問で言うとおそらく哲学。論文にするならそこでだ。それはタイトルにもある

という言葉。これはいい。ひとのためにやってるんだけど、なんか偽善っぽくてやなんだよなあって人には是非使っていただきたい。情けは人のためならずって言葉があり、かなり近いけどちょっと違う。あれは、人に情けをかけなさい、そうすれば、それは結局自分のためになるんだよって意味。

この理論は少し違う。俺は言うても自分のために動くことにモチベーションがあがるんだあとか、本当は世のため人のためって言いたいけど、偽善っぽくって嫌なんだあとか、人が喜ぶのが凄い好きだけど、結局それって自分がいちばん嬉しいんだよねとか言う人向けのもの。

とも少し違う。世のため人のための後に、は、が入っている。世のため人のため自分のため。結局は自分のためだぜっていうのがいい。超自己中でわがままに映るけど、それに対する誹謗にも耐えれる人向けかな。

自分ひとりで楽しむより、大勢の人を楽しませたほうが楽しいってのがずっとあって、それって、人のためにやっているからだよって言われてたけど、違った。結局は自分が気持ち良いし楽しいのだ。