人生の目標を決めるか否か

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ライフコーチングというビジネスをやってます。どうやって生きたらいいか、もしくは、しがぶんかいおとこみたいな生き方をしたいという人は無料体験コーチングをやっているので問い合わせてね。

さて、このコーチング。流派がある、それぞれがそれぞれのやり方で幸せに生きたいという人のサポートをしている。わたしも現在3名のクライアントさんを抱え、日々その人に合わせたコーチングをおこなっている。

私のコーチングは仏教と哲学がベース。仏教の考えかたって今を生きるというのがベースなので、基本的に目標をたてない。目標をたてるのはいいが、そこに必ずしも行かなくていいというもの。どっちだっていい。やりやすいほうでいい。目標を書いて壁に貼ったほうが上手くいくという人もいるからそれでもかまわない。明日12時に大阪駅に行きたければ、大阪駅に行くという目標をたてなければいけない。

あまりないのもいけないと思い、ちょっと立ててみた、目標というか予定を。普段はパソコンを開いて立てるのだが、手元になかったのでスマホでやってみた。スマホって画面に指をおいて、上にスーッと動かせば、画面がバーって上にあがるでしょ。あれが結構気持ちいい。

2015年の1月から12月が画面に出ている年間カレンダーを出して指で上にバーってやったら、めまぐるしく画面が代わりながら上にスクロールした。2022年がでた。2022年だと7年後か、俺もう57才か、ひーって思った。ん、待てよ、これって何年まで続いてるんだと、スクロールしたら、なんかしらんけど永遠にある。なんか怖くなってきた。

自分がドンドン年をとっていくような気がした。それでも怖いもの見たさでドンドン行った。ついにカレンダーは2065年をしめした。

わたしは4月を選んだ。そして17日を選んだ。もちろん、そこには何の予定も書かれていなかった。私はそこに100才記念パーティーと記入した。なぜだか知らないがとても怖くなった。目標を持って、将来のスケジュールに記載したのに、夢をもつようなワクワク感はなかった。

もしかしたら将来の目標をもつ喜びって若い人の特権なのかもって気がした。100才の俺は、バリの海で波にのれているのだろうか。ドライバーを持ってティーグランドに立っているのだろうか。1日8000字書けるのだろうか。

目標を設定するのがよいのか悪いのかまだ答えはでていない。2165年がこのスマホの中に存在するのかどうかを確認することはやめることにした。先のことはわからないが、おそらく私はこの世にいないだろう。2165年はイメージわかないが、50年後の2065年は何となく、イメージできる。なんとも考えさせられるスクロールだった。

4月17日の予定の他に4月13日と4月14日にも予定が入っていますと示す点がついている。恐る恐る開けると、サーフィンメルマガ発行日とコミュニケーションメルマガ発行日と書かれてあった。

99才の最後の月曜日と火曜日、私はメルマガを書いているのだろうか