失敗は成功の母

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失敗しても大丈夫、いずれ成功がまっているからがんばって、という意味に使われたり、エジソンの話のように私は失敗しているのではない間違った方法をひとつ見つけたのだという風な意味も合わせ持つという言葉。この言葉を積極的に使うことで成功がはやまるのではないかというのが今回の提案。

私はいつも弟子に物事を教えるときにこうやってはいけないと言う風にする。こうやりなさい、でもこれだけはやってはいけないと私が経験してきた失敗を弟子にやらすことなく成長してもらおうと思ってきた。さいわい私が今教えているどの分野においても、私自身上達するのに非常に時間がかかったので、失敗もたくさんし、その事例に事欠くことはない。

だからこそ弟子には同じ遠回りをさせないためにも、そこは念入りにやるな、やるなと伝えてきた。ところがここにきて、それは逆に遠回りなのではと言う気がしてきた。何故なら、いくらやるなと言っても弟子達は絶対にやるのだ。指導したときは、わかりましたやりませんと言うのだが、気がついたら必ずやるのだ。しかも何回もやる。わかっているのにやってしまうってことはある。

なんでやるねん。俺が散々失敗してきたから、君たちはやらなくていいのにって伝えているけどやってしまう。でもね、最近思ったんです。自分でやらないと気づかないと言うことが。納得できないんですね、それが失敗だと言うことが駄目だと言うことが自分でやらないと。結局はやって納得しないと次に進めないんだと言うことなんですね。体感していないことは何となくふわ〜っとしていて実感がないんですね。沸騰しているやかんは熱いから触っちゃだめよって言うより、触ってしまったほうが強烈で2度と触らないですよね。そういうことなんだなあってのが最近わかったんです。

それだったら、失敗ややってはいけないことを積極的に体験させるワークやセミナーをやればいいのではと思ったんです。そのほうが早い。やるなと言ってもやるんだから、先にそれをどんどんさせる。例えばプレゼンの上達。オープニングでつかもうと思うのは難しいからやっては駄目ですよと言っても、みなつかもうとしちゃう。

めちゃくちゃ受けて、上手くつかめる確率ってものすごく低いのにどうしてもやってしまう。つかめるとその後の流れがスムースになるからだ。受けを狙うより、普通に入って行ったほうが断然いいのにやってしまう。それなら、もうやらしてしまおう。オープニングで掴みに行かせる。失敗させる。つかめなかった時の恐怖を味あわせる。あの凍り付いた感は何度体験してもおそろしい。それならいっそそれを味わってもらおうって寸法だ。

失敗して学ぶ、恐怖のプレゼン上達講座。さっそく企画してみることにしよう。