抽象化するために掘る

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カップラーメン、リンゴ、サンマ、ボールペン、水原希子。

一見全然違う物に見えますよね。でもひとつしたの、上でも良いんですが、抽象度でくくるとカップラーメンとリンゴとサンマは食べ物というカテゴリーでくくれますよね。今日の昼何食べたん?って聞く時の何は食べ物のことですよね。

水原希子以外をくくる事出来ますよね。物ですよね。一番すきな物って何?ってきかれたら前の4つは答えとしておかしくないですよねもっと抽象化するなら例えば元素で出来たモノの中で一番すきなモノって何って聞けば、水原希子って答えてもおかしくないんですよね。地球も人間もリンゴも太陽も月もスマホも全ての物は元素から出来ているんですよね。

究極の抽象化は元素ということになるのでしょうか。

人間を元素レベルまで分解していく、ボールペンを分解して行く。すると共通につかわれているものが出てくるかも知れない。こんなイメージですかね。例えばサーフィンの上達法について深く掘って行く。もちろん最初は技術的な事から。それが解った。ではそれを教えよう。教えているとどうしても上達する人としない人が出てくる。

技術的な事は間違いない。これをやれば絶対に上達する。でも出来ない人、やらない人がいる。それはメンタルにあるという事がわかる。上達のために技術を掘って行ったが、それだけでは足らない事に気づく。

しかも、これはこっち側の問題ではなくウケル側の問題である事に気づく。ウケル側のメンタルがしっかりしていないと上達はままならない。こっち側の元素だけでは足らない事に気づく。習う側を掘る必要がある。上達する人と上達しない人の差は何なのか。もちろん、圧倒的なセンスの差というのはある。でも、そうじゃない部分も見えてくる。

何故上達しない人が多いのか、ここで解る。技術的なモノの前にメンタルの部分が大きく影響している事がわかる。モノゴトを掘って行くと、元素レベルにまでいく必要はないが、ある程度掘って行くと色々な事が解ってくる。そして、それが非常に抽象的だということが解る。

サーフィンと英語とゴルフで技術的な部分で共通する事は少ないが、それを習う側では共通項目が多い。とりあえず、何かを掘ってみる。抽象化してみるってのは、上達において非常に重要な意味を持つ。そんな気がする