欠落しまくる音

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「~ざいまーす」と出社してくる若手社員。「~ざいます」とお礼を言う中堅社員。

若い人の言葉が乱れていると言う話ではない。実際の生活場面で使われる言語は音が欠落しまくっている。これは若いからどうのこうの、きっちり話さないからどうこうというのではない。例えば私も「そんな事はないでしょ」とお得意さんに言う時、実際は、「 んなことないっしょ」になる。

前述のふたつはそれぞれ「おはようございます」「ありがとうございます」だが、状況がそれに付加されるのでほとんど音がなっていなくとも、朝のあいさつをしているだとか、お礼を言っているとわかる。

ちょっと日本語を話すときの事をふり返っていただきたい。いつものシチュエーションでいつもの言葉を使う時ほど音が欠落する。お互いが何を言うかわかっているから充分通ずるのである。

英語を話す文化圏にもそれがもちろんある。子供が家に帰って来た時「ま~、むぉーむ」と言う。お母さんは何と言っているか理解できる。わたしもこのシーンは何度も映画やドラマで言ったので何を言ってるかわかる。「ただいま、お母さん」と言ってるのだ。「Maam, I’m home」と英語表記だとなる。ただしく発音すると「ま~む、あいむほーむ」だ。

あまりにも当たり前に繰り返されるので音が欠落してくる。みなまで言わなくてもわかるのだ。前述の「~ざいまーす」「~ざいます」と同じ。普段の我々が使っている言葉も注意してみると、カツゼツ良く全ての語を丁寧に言うのが逆に少ないとも思える。

話している本人は音を出していると思っているし、聞いているほうも欠落した部分を脳のちくせきされたもので埋めているのだ。それが洋画の映画やドラマでは頻繁におこる。とくにストリート系になるとひどくなりまったくわからなくなる。

なのでニュースやTEDなどのプレゼンは解りやすい。使用する単語は日常より難易度があがるが音を出来るだけ欠落させないように話すので音としては聞き取りやすい。日本でもアナウンサーは音を落とさずに話す。もちろん、バラエティーも同じ、伝わるように丁寧に話す。

ドラマでそれをやると途端に不自然になる。現実に近いものにしようとすると、音が欠落しまくるのだ。

ではどうすればいいのか。生活に触れるしかない。そういう状況を数多く体験するしかないのだ。音が欠落しているのでいくら必死で聞いても聞けないのだ。なぜなら、なっていないからだ。音が鳴っていないのに聴けるはずがない。何回聞いてもそれこそ100回聞いても音がなっていないから聞こえない。

留学がいいのはそれ。生活全てが英語の環境。あらゆるシチュエーションを体験できる。キャンパスを歩き疲れてふとベンチに腰を下ろすあなた。後ろから来た友達があなたに声をかける。

「ライ?」するとあなたは「っけ~」と返事する。

疲れてベンチに腰を下ろしたあなたの後ろを友達はずっとついてきていた。だから、あなたが疲れて腰をおろしたのを解っていた。だから、通り過ぎるときに「All right?」と声をかけたのだ。その状況がわかったあなたは「ok」と答えた。

音としては「らい」「~っけー」しかなっていない。

そのような体験のみが音の欠落を埋めてくれる。留学が出来ないなら疑似留学でそういうドラマや映画を見るのが役に立つ。まずは字幕なしで聞いてみる。信じられないくらい聞こえず凹む。へこまなくて良い。音が鳴っていないのだ。聞こえるはずがない。

英語字幕をつけてみる。途端に聞こえてくる。文字が欠落部分を補ってくれるからだ。字幕をみるととても簡単な単語しか使われていないのを見て凹む。こんな単語も聞きとれないのか。凹まなくていい。なっていないのだ。

字幕をつけた瞬間音が鳴ってると聞こえるのは錯覚。脳がなっているとカン違いしているのだ。そう仮説をたてて進もう。もういちどTEDを見てみよう。彼らがいかに音を欠落させないようにはなしているかわかるはずだ。

疑似留学をしまくろう。日本には教材があふれている。