目にいいという言葉の概念

シェアする

パソコンが普及して何年になるのだろう。そいつは私たちに強烈なメリットをもたらした。なければ今の世の中どんなかんじだったろうか想像もつかない。その貢献は計り知れない。一方で当然と言えば当然だがデメリットももたらした。いくつかあるだろうが、そのうちの1つで影響が大きいと思われるものに、目への負担というものがある。人によっては1日に10時間以上パソコンを見ているという人もいるだろう。スマホの普及によってさらに時間は増えていると思われる。液晶の画面を見るという行為がだ。

それを何とかしようと眼鏡メーカーが動き出した。パソコン専用の眼鏡を作ったのだ。これがとてもよく売れているという。私も使っているが実際にそれをつけると目の疲れが使用していないときと全然違う。まだまだ研究段階ということだが、どうやら液晶画面から出ているプルーライトという光線が目から入って体に影響与えるらしい。それをカットしようというのがこの眼鏡。

使用してから格段に疲れがなくなった。私の回りにも使っている人が多い。1日に12時間パソコンを見ているという人がそれを使い出してから疲れが全然でないと言っていた。お薦めだよとみんなに紹介している。本当に素晴らしくて私も皆にお薦めしたいが、実は手放しでは推奨していない。これを使うことの弊害もある。それは何か?

そう違う意味で目によくない。これを使うことによって眼精疲労が減った。以前は画面を見ていると1時間〜2時間で目を離してマッサージしたり目をつぶったりしないと耐えられなかった。あかんもう無理ってなってた。ところがこの眼鏡を使ってから何時間でも平気になった。これがよくない。そう、視力が確実に低下する。何故か、目の筋肉が使われなくなりかたまってくる。

目はその筋肉でレンズの厚さを調整して遠くを見たり近くを見たりしている。一眼レフカメラの望遠と広角を調整するようなものと思って頂ければいい。パソコン画面を注視するということは何時間もピント調整をするひつようがないのだ。筋肉は使われない。使われない筋肉は硬くなる。

老眼はこの調整機能が落ちた結果起こるのだが、それが加速することになる。よく近くを見たり遠くを見たりを繰り返して目の運動をしなさいと言われる。それはこの筋肉の運動なのだ。パソコン眼鏡を使っていなかったときは1時間くらいで疲れて自ら離れ筋肉を動かすべく遠くを見たり近くを見たりしていた。生活するってのはそういうことだ。

それが皮肉にも目にやさしい眼鏡を使うことで何時間も画面を見ることができるようになり、それが結果的に目の筋肉を使わないという状況を引き出すことになったんだ。

「なあなあ、みさお。あんたパソコン用の眼鏡使ってるやろ?あれってどう目にいい感じ?」
と聞かれたら
「うんいいけどあかん」
と答えるようになってしまう。

私はこの眼鏡めにやさしいので使い続けるのは間違いないが、意識して30分に1回休憩を入れることにする。そうでないと違う意味で目に悪いとなってしまう。

この眼鏡、目にいいのは間違いない。この言葉の概念。いいというのはものすごく抽象的、どういいのかは自分で考えないといけないのである。