自分の型をまず作る

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ものさしを、自分の基準を、基軸をまず体に頭にひとつ作るってのが大切ですね。できれば、正しいものや正しいものに近いほうがいいが、それは間違っているものでもいいと思っている。大切なのは、その方法が自分にとって違和感がないほどに会得していること。

これは何がいいか。そう、それがあると比較ができるのだ。

何かのきっかけで、そのモノに対する正しい方法に触れる、もしくは教わる機会があったとする。その時に大いに威力を発揮するのだ、そのモノサシは。

例えばゴルフのスイング。5年以上にわたって自分で築いてきたスイング。ある程度まで上達したが、そこから伸びがなく一定期間止まっている。そこで一念発起、スイング改造に着手し教わることにした。最初に一番大きな致命的な動きについて指摘された。そうではなく、こうですと、腰を先生につかまれ、正しい動きを指導された。

そう、その時におこなった、その正しい動きに強烈な違和感を覚えるのだ。5年以上やってきた動きを体は安定した動き、自分にとって正しいと思っているので、強烈な違和感を提示して、新しい動きとの差を提示するのだ。

これが使える。先生に教わった動きは違和感を伴う。自分でやっているときに、なんかいい感触があるとすると、それは昔の悪い動きということだ。正しい動きをした時にある違和感を覚え、この感覚が正しいのだと判断できる、基準があるとすこぶるそれは使えるということなのだ。

もちろん癖がまったくない状態で正しい動きを覚えるほうが、変な癖をとる必要もないので、そっちのほうがいいのだが、長年ついた癖があるから、もう駄目だと、悲観する必要は全くないという話だ。これはもちろん思考のくせとか行動をかえるときにも使える。

自分のなかのモノサシをもつという事考えてみていただきたい。もちろん、それには、思考という行動が必要になってくる。自分がやっていることを分析する力はあったほうがいい。今自分がやってるのは、なんだろうかと考えるというのは大切だ。話が横にそれるので、この思考に関する話はまた今度。