褒めるのは良いことだが

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褒めることは素晴らしい。

私も褒められておだてられて登って行くほうなのでどんどん褒めて欲しい。でもひとつだけやらないほうがよいのではと言うほめ方がある。それは過去を否定するやり方。

今の素晴らしさを褒めるため、その褒め度を上げるために過去の事を否定するやり方がある。例えば「操さん髪切ったんですか。かなり切りましたね。でも凄いいい感じです。そのつんつんした感じが凄い素敵です。前のはちょっと重いなあって思ってたんです。すごいさわやかになりました。」

となるとする。今の髪型をものすごくほめてくれてるのは大変嬉しい。前よりかなり良くなったことを伝えるために前の事を否定する。この方法もわからなくなはないが凹む。前の髪型が自分でも嫌で嫌で仕方なかったり、過去を断ち切っていたらいい。何かの事情があって、なくなく手放したかもしれない。ロン毛なワイルドな感じが気にいってたけど、クライアントにかたいところが増えたので泣く泣くかもしれない。

そういう時は否定されると凹む。

新人営業マン河村操は経験済みだ。クライアントさんが新装移転した。裏通りの狭い小さい汚い店舗から、人通りの多い表通りへ3倍くらい広い新規店。だれもがうらやむ素晴らしい立地。

「おめでとうございます。凄いですね。立地と言い広さと言い。これは売れますよ。前の店舗とは雲泥の差ですね。」

「ありがとう。河村君。がんばるし協力してな」と若社長。「まかしといてください。」といって奥に座っている大奥さん(先代の妻)にあいさつ。「お母さん。良かったですね。めっちゃきれいですね。前より全然いいですね。」

「わしは好かん。じいちゃんとやってた前の店のほうがええわ。こんなんかなんわ」とおっしゃった。大奥さんにとっては先代との思い出が詰まった地。そこを出るのは辛かったのだ。あたりまえのはなしだが新人営業マン河村操はそこまで気が回らない。

それ以来過去は否定せず。できれば触れずに現在を褒めるだけにした。あの時こう思ってたのかと思ってしまうからね。

切った時にロン毛がにあってなかったと言われるのは辛い。そんなん思ってたんかと思ってしまう。褒めるにも技術がいるんですね。褒めるのが技術かと言われたらそれはそれで微妙ですが。