配慮ができる人にわたしはなりたかった。むかしに比べるとかなりきたが、それでもまだまだ。配慮マンに俺はなる。

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配慮ができる人間になりたいとずっとおもってきた。

残念ながら、いつそう思い、いつからそのような人間になろうとし始めたのかは定かでないし、こういうことがあったという明確なエピソードもない。だけど俺は確実に、いつの日からか、配慮ができる人間になろうと思ったのはまちがいない。

まったく配慮ができる人間ではなかったからね。大学生のころを思い出すたびにぞっとする。相手のことなどおかまいなしに、傍若無人に振舞っていた映像しか浮かばない。

居酒屋で大騒ぎし、カウンターでしみじみと飲んでいるサラリーマンをみてバカにしていた。イッキして騒いで飲まない酒以外の何が楽しいのと思っていた。

人をいじるのが楽しいと思っていた、おもしろいとおもっていた。ひやかしたり、ちゃかしたり、ひどかった。

そんないきおいそのままに社会人になった。配慮がないわたしは散々だった。入り口にずっと立っていたり、お客さんがいるのに、クライアントに大きな声で納品条件を提示したり。数十年続いている取引が、わたしのひどい言動で終わってしまいそうな危機に面したこともある。

今思いだしただけでもよくやってたなと思う。

これではいけないといつのころからか思いはじめ、完全に生きかたが変わった。相手が何を求め観察し、分析し、察知して、そして相手に配慮をしなければ、商品なんて売れないとわかりはじめた。
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(写真はイメージです)
うっすらとした記憶しかないが、周囲に配慮しまくっているすてきな人とであったのだとおもう。今でも配慮が行き届いている人をみると、強烈に感動するので、どこかの時点で、記憶に刷り込まれたのである。

新人セールスマンみさおのときから比べると、ずいぶん人に配慮できるようになったが、まだまだ全然である。人とあったとき、会合に行ったとき、食事会にいったとき、いまだに反省しきりである。ああ、もっと、こうできたな、ああしたほうがよかったなと。

配慮のかたまりみたいな、しかもそれでいてさりげなくできる人が、わたしのなかに手本として歴然とある。

わたしは、それに向かって日々やっている。やりかたは知っている。どの順番でやるかもわかっている。だから、確実にそれになれるとおもうが、まだまだ完璧ではない。

今日、フと思った。これできる人ができたら、日本はよくなるんじゃないか。おもてなしの国日本と言われているが、まだまだよくなる伸びしろはあるし、全然できていない人も多い。そのできてないひとに、できるようになってもらえば、きっとすごいことになる。

配慮ができるひとは、基本的に強い人だ。当然やさしさもかねそなえている。自分の怒りや、理不尽なことも受け入れられる度量の大きさをもっている。そんな人間が増えて、悪いわけがない。

さいわい、わたしは、それを目指しているし、こころざし半ばとはいえ、理想の形を知っている。どうやればそこにいけるのかも知っている。それを共に学ぶように、目指すことで、共に成長できるような気がしている。

サーフィンも実はここから始まっている。まったくできなくて、そのうちに、理想的なサーファーをみつけた。彼になるためにどうすればいいか研究分析した。そして、わたしも少しそこに近づいた。きっと、そこに行きたい人がいるはずだと、ブログを書き始めた。

配慮力をもった人間への道もまったく同じだ。理想をしっている。もし、それになりたい人がいたら、ブログを読んでいただきたい。そこへの道を提示し続けるから。

あなたが、それに成りたいなら、是非一緒にそれを目指そう。

その一部がここに列挙されている。よろしければお読みいただきたい

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