出町柳に行くために京都駅からバスにのった。夏休みということもあり、京都駅のバス停はどこも長蛇の列。
下鴨神社行きバスほどの混雑はなかったが、出町柳に行くバスも大混雑。席はもちろんいっぱいで、通路にも人があふれていた。そんな中で事件は起こった。
わたしが座っていた席の前に60代前半の女性二人が座っていた。その前に70代前半の女性二人が、立った。それに気づいた座っていた60代前半の女性が声をかけると同時に立ち上がった「どうぞ」と。
「いえいえ、大丈夫です」
と席を譲られた女性二人は鼻の前で右手を左右に大きく動かしてオファーをありがたく拒否した。一度拒否したくらいでひるんだら大和撫子の品位がさがると言わんばかりに
「そういわずに、どうぞ」
とさらにすすめた。ところが、立っている女性たちは、動かしていた手をさらに早く大きく動かして、全力で拒否した。
もうここまできては引き下がるわけにはいかない席を譲るお二人は、さらにオファーをだしつづけ、通路のほうに移動すべくあるきだした。それにおそれをなしたのか、立っていた二人は最後にこういいながら、逃げるように後ろのほうに移動した。
「おんなじですから」
おんなじって、どういう意味だ。なにがおんなじなのだ、まさかと思うけど年齢か?そう思っていると、席を譲ろうとしていたご婦人ふたりは、再び席に腰を下ろしてこういった
「おんなじって、ねえ」
口にこそださなかったものの、どうみたって私たちのほうが若いのに、なにさ、という感じだった。わたしはその劇を最前列でみながら、あまりの面白さに、すぐに席をたって席を譲るべきだったのはわたしだったのにと反省しつつ考えた。
今後、こういう問題は頻繁に起こってくるだろうなと。
もし仮に譲ったほうが61才で譲られたほうが71才だとしよう。彼らの年齢差は10才。率にして15%。20才と23才の差だ。この差を大きいとするか小さいとするかは個人の見解による。
しかも、人は自分を実際の年令より低く見がち。精神年齢は、わりと若いところで止まっているからだ。譲った女性は年配のかたに席を譲ったつもりだったが、席を譲ってもらった女性は、自分の精神年齢でうけこたえしたのだろう。
ほとんどかわらないのに、譲っていただかなくても結構だわ。となったのだろう。人は私も含めて、いつまでも若くありたいと思う。年令を受け入れられないということは誰にでもあたりまえのようにおこる。
おたがいが、相手のことを考えているのに、こういうことが起こるのは不幸だ。なにか対策が必要になってくるように思われる。
緑の短パンに黄色い帽子で外をであるくのもそろそろ自粛しないといけないかもと、思った。え?それは、年令の問題ではないのでは?
たしかに。
もうまもなく、席を譲ってもらえる側になる。はたしてわたしはそれをうけいれられのだろうか。