好きなことをして生きるのではなく、好きなように生きるだったかも。

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大好きなサーフィンを朝から晩までできたらきっと幸せだろうなと、
大好きなサーフィンに関連する仕事で飯が食えたら、生きていけたらきっと幸せだろうなと、
会社を辞めたとき、
起業の初期はそう思っていた。

もちろん、今もその気持ちはかわりなくあるが、
実は、本当のところは、
好きなことをして生きるから幸せというよりも、
好きなようにやるのが幸せなのではと思い始めた。

友達がfacebookのタイムラインにリンクをあげていた記事(リンクを貼りたいのだがリンク先がエラーになって貼れない)が書いていた。自分がコントロールする側か、される側かでストレスの度合いがまったく変わってくると、仕事において。

ものすごい量の仕事があったとしても、それを自らコントロールできる場合はまだましだと。逆にその仕事のすべてが指示や命令によるもので、自分に裁量権がない場合はやばいのだと。どこかの大学教授の研究結果と合わせて載せていた。その記事を読んで思いだしたのだ、少し前に、別に好きじゃなくてもいいんじゃないって。
IMG_9359回
そりゃ、好きなことを仕事にして、それを自分の好きなようにできるのなら、これほど最高な環境はないだろうが、

別に好きなことでなくても、自分に裁量権がある仕事を、やってる場合は幸せなのではなかろうかと。自分がやろうと思って、さあ、部屋の片付けをやるぞと思って動き出そうとしたまさにそのとき、おかんから「キッタナイ部屋やなあ、片付けや」って言われたら「いまやろうと思ってたのにゆーなよ」と悪態をつき、急にやる気が失せることってないだろうか。

おそらくそれなのだ。

リンクが貼れないブログの記事が、
大学教授が
おかんに部屋を片付けろと言われた少年が

言ってる不満は、自分に裁量権がないことが嫌なのだ、やばいのだ、だめなのだってことなのだ。

熊本で地震があったとき、たくさんのボランティアが九州に向かった。その中には、若干数ではあるものの、会社からボランティアに行けと言われたから行った人もいた。

会社から、ボランティア行きたい人がいるなら、サポートするよってのは全然いい。行くかどうか決めたのは自分だから。ところが、会社が、会社として、うちはボランティアしてますよってのをいいたいために、社員に強要するのは違うと思う。

もうその時点でボランティア(志願)ではないからね

震災が起こった瞬間に、よし、ボランティアに行くぞと決めていたこの会社の従業員は気の毒でならない。自らの裁量で行こうと決断したのに、それにかぶせるように、会社から行けと言われ、裁量権を奪われるのだから。それはもう雲泥の差となる。

今の仕事が嫌で嫌で仕方がないという人は、もしかしたら好きなことを仕事にすれば幸せになるのではなく、自分の裁量で好きなように仕事をすれば幸せになるのかもしれない。

もちろん、好きなことを、自分の好きなようにやれるのが一番だが、好きなように、自分の裁量でできるのなら、それは、今より圧倒的に幸せなのかも知れない。

好きなことを仕事にするのはよくないよと言う人がいる。好きなことは趣味でおいておくのが一番だと言う人がいる。そういう人が懸念しているのは、まさにこのことではなかろうか。

好きなことでも、お客さんができると、自分の裁量ではないところで動かないといけない部分がでてくる。そのことを心配してくれて、好きなことは趣味でおいておけと言ってくれているのかもしれない

好きなことで生きていけるかを考えるのと同時に、
好きなように生きていけないかを考えるのは
とても大事な気がする。

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