理系男子だった

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小学校の得意科目は算数と国語。中学は理科と数学と英語。3つの時に車を見てカーといい、あさの挨拶はグッドモーニング。神童と呼ばれるとても嫌な子供だった。

中学1年の時に友達の家に遊びに行った。高専に通っていたその友達のお兄さんはコンピューターなるものでゲームを作っていた。はじめてコンピューターをみた瞬間だった。マイコンって言ってたような気がした。

その位の時から私の夢は技術者になった。中学の時に将来の夢はと聞かれて技術者と答えていた。その頃はプログラマーとか言う言葉を知らなかったので漠然とそんな風になりたいと思っていた。

中学の成績は抜群で英語数学は3年間ずっと良い成績だった。高校は私学の進学校(そんなに凄い学校ではない)1年は普通にみな同じクラス。2年で理系か文系にわかれる。わたしが選んだのは文系。

とうぜん絶対に理系に行きたかったのだが高校の数1でつまづいた。先生に恵まれなかった。数学担当の先生は20年間おなじノートをつかっている先生。この公式とこの公式をこの公式を覚えなさい。大事だからと教える。理屈が欲しかった。中学の数学で一番すきだったのが証明問題。図形を証明するのが最高に萌えた。

高校に入ったらもっと理屈っぽい証明問題を出来ると思っていたのに、理屈はいいから覚えろと言うスタイル。そのほうほうで優秀な受験生をたくさん産み出していたのでその先生の評価は高かった。

「サイン、コサイン、タンジェント。サイン、コサイン、タンジェント。」と言うのが先生の口癖だった。「先生、この数式なぜこうなるんですか?」と質問に行く。「サイン、コサイン、タンジェント」と先生。「いいから覚えろ」と。はい、わかりました。「サイン、コサイン、タンジェント」と私。

もちろん先生に責任はない。世の中にはその当時も腐るほど情報はあった。塾もあるし予備校も本もいっぱいある。やろうと思えば自分で出来た。でも僕は幼かった。自分で目標を持ってやるという能力にとぼしかった。学校に行ってまじめに先生の通りやってればという考えしかもっていなかった。

イチロー選手や石川遼プロなら、とっとと良い先生を探したりしただろう。おぼこい。高校1年の私は限りなくおぼこかった。高校を卒業し、文系の大学に行き、営業職を22年間やった。しゃべりメインの定性メインの超文系。

少し時間が出来た今、少しプログラムに興味を持ってもいいかなと思い始めている。コンピューターはどうもプログラムというものがないと動かないらしい。その言語がたくさんある。言語の下の階層には数字がおそらくある。全部数字で書くと書くほうも読むほうもわかりづらいので、言語に訳していると言う感じなのかな。知らんよ。カンで書いてるから。

恐らくそんな感じ。まず全体の構造を把握してから細部に入って行きたい。プログラマーになるわけではないのでそこまで知る必要はないのだが構造を知りたい。メモリ、ハードディスク、Ruby、HTML。

アメブロに記事を投稿していた。今はwordpressをインストールした。データベースとかPHPとか言うのがあるというのを知った。少しプログラムに近づいた。コンピューターがなぜ動くのかというところから勉強しはじめるが良いような気がする。先に外枠を作ってから中身を配置していったほうががぜんやりやすい。

スモールビジネスを立ち上げる。そんな私にとってコンピューターは必修になる。ソーシャルメディアも駆使していかなければならない。facebookの使い方を覚えればいいだけなのだが、それでいいのだが、全体を知ってないと無理なんです私は。さらに、こんごスモールビジネスを立ち上げる人へソーシャルメディアに関してアドバイスすることがあったとして、そのときに土台と外枠を知ってないと出来ないのです。

道は遥かだが少しだけ近づいたような気がする。

そこまで必要?必要なんです。私は。