会社を辞めて独立した月から40万円を稼いだその方法教えます。

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3年前の2011年12月1日。今でもその時の記憶は鮮明にある。

これから自分のやりたいことが何でもできる、とんでもなく開放された気持ち。そのころに思いをはせ、脳にイメージを浮かべるだけで気持ちがもりあがりテンションが上がってくる。ところがそれと同時に、なんとも言えない今までには味わったことがない恐怖も浮かんでくる。それが収入だ。

3年前に会社をやめるまでの22年間。毎月25日に会社から給料が振り込まれる。それが今後いっさい入ってこなくなる。この恐怖と言ったらない。他に類を見ないほど強烈なものだ。これは味わったことがある人にしかわからないし、残念なことにこの恐怖はフリーでやっていく限り永遠につづくのだ。

私のまわりの起業家もこの恐怖に耐えられず、せっかくはじめた事業から撤退するというケースはほぼ日常的におこっている。ビジネスが軌道にのるには、皆さんが思っている以上に時間がかかる。加えて残念なことに、貯金は皆さんが思っている以上に速く減っていく。このダブルパンチに耐えられるひとはよほどメンタルが強いか、しっかりとした事業計画を立てている人だ。通常はやられちまう。

そういう意味では私はラッキーだった。独立したその月から売り上げが40万円あったからだ。これは非常に大きかった。定期収入ではないし、安定収入でもないので、翌月それが入ってくるという保証はなにひとつないが、初月に売り上げが立つのは大いに自信になった。

それがあったから、丸3年たった今も、私は何とか生き延びている。その40万円がなかったら、収入が入ってこない恐怖と出て行く恐怖のダブルパンチに完全にノックダウンされていただろう。

では、なぜ、私はやめたその月から40万円もの売り上げがあがったのだろうか。そのためにやっていたことって何なのだろうか、それはどれくらいの規模と期間なのだろうか。順を追って書き進めることにする。

趣味のサーフィンのブログ

私の趣味はサーフィン。28歳に始めたのでもうその歴は20年を超える、大ベテランだ。今ではそこそこ波に乗るのも上手いのだが、はじめてから数年間はこれでもかというくらい上達しなかった。運動神経抜群であるTOKIOの山口くんもサーファーだが、彼は何かのインタビューに答えて、色々スポーツやってきたが、これほど難しいスポーツは他にないと言っていた、それほど難しいのだ。

まして私は28歳という比較的遅い年齢から始めた。当然だが、子供が体で覚えて上達するようには、上達しなかった。ではいったいどうしたのか。元来の理屈好きである私は、サーフィン上達の理論を学ぼうと、国内外の文献をあたった。ところが、それがほとんどないということがわかった。

私はサーフィンの他にゴルフもやる。ゴルフはそれこそ、コーチの数だけ理論があると言っていいほど、理論がたくさんでている。そこまでは多くないにしても、もう少しくらいあるだろうと思っていただけにショックだった。これほどないとは。

そこで私は、しかたがないので自分で作ることにした。上手いサーファーやプロサーファーの分析を始めたのだ。私は元来、理屈好きなので、苦にならなかった。わたしは分析にのめり込んだ。そして徐々にだが上達していった。すると、一緒にサーフィンをやっている仲間から聞かれた。みさおさん、最近調子良さそうですけど、どうやって上手くなったのですかと、後輩から聞かれた。最初の1人には熱心に教えていたのだが、そうしているうちに2人3人と増えてきた。ならばと、その当時流行になりかけていたブログに書くことにした。

ブログに書くから、読んでと。面倒くさいからそうさせてもらうとした。そうやって、後輩に向けて書いていたブログはやがて、それ以外の人に読まれるようになった。そしてはじめて読者の方からコメントが入った。

「ブログありがとうございます。目から鱗です。こういうの待っていました、是非続けてください」

と。

書いている割に読者数が増えないなと、後輩に書いているとはいえ、書き始めると、もっと多くの人に読んでもらいたいと思い始めていた私はやる気をなくしていたタイミングでいただいたコメントだったので、喜びはひとしおだった。

それからというもの、私は、その人にだけ書くぞという気持ちで書いた。そうやって続けていくうちに、ピーク時は月間10万pvを叩き出すブログになり読者もどんどん増えていった。そうこうしているうちに、ブログ経由でメッセージがきた。

「お金を出すので教えて欲しい」

と。おお、まさか、そんなことになるのかと、この時のことは今もはっきりと覚えている。友人からもらった本田健著の「ユダヤ人大富豪の教え」を読んでいた私は、こういう商売の流れもあるのかと、とても喜んでいたと思う。

そして結局私はそのあと、会議室でサーフィンの教室をやるということを始めるのだが、それは、また後の話。結局発信することが全てに繋がったということだ。私の初月の40万円はまちがいなく、2007年くらいに始めた、サーフィンのブログがきっかけになっている。どういうことか、続けてみてみよう

たたただひたすら書く書く書く

1日8000字。これが、今現在の私が1日に書いている文字数だ。そのうちの6000字前後を、日々ネットで配信をしている。これは独立した2011年12月からずっと続いている。

ようは何がいいたいか、もうお解かりだろう。続けろよ、である。なんだっていい、ブログでもメルマガでもSNSでもなんでもいいので、将来あなたが携わろうとしているものに関して書きまくれということなのだ。それが、独立したその月から40万円を稼ぎだす秘訣でもある。

ここで種明かしをすると、私が独立した月に売り上げが40万円あったのはマジックでも裏ワザでもなんでもない。極めて正攻な方法。ただただコツコツとやる、ブログやメルマガなので発信するということなのだ。これ以外におそらく成功する方法なんて存在しない。

そう準備だ。入念な準備期間があったのだ。辞める前に4年間もブログを書いてきたことが、初月に40万円を売り上げる要素だったのだ。あまりにも当たり前でガッカリされたのではないかと思う。ところが、それしか方法がないし、それにまさる方法はそんなに多くない。それを探しているうちに、始めちゃったほうが早い。

あなたが好きなことをブログに書くことに関して、会社から文句を言われることもおそらくないだろう。存分にとりくめばいい。そうやって発信することによって、読者という観客があなたのブログに集まってくる。もうおわかりだろう。この人達が、将来あなたの商材を買ってくださる人の候補なのだ。この人たちに対して、ブログというメディアで出し惜しみすることなく情報を提供していく。それだけなのだ。それをやるだけで、独立後の動きがまったく違ってくる。その辺りは次の章で書くことにする。

お金を払うので教えてほしいという人が増えてきた

前述したが、ブログを続けていた私に、メッセージがきた。お金を払うので教えて欲しいと。実は、そのあとも不定期にそういうメッセージが入り始めた。何かスクール的なことは開催されますかとか、コーチはされているのですかとかだ。そのようなメッセージが増えることで、私の中に自信めいたものが増えてきた。いけるのではないか。

そしてついに私は、おそらく世界でも類をみないであろう、会議室で行なうサーフィンスクールを開催した。これは万を持してメルマガで告知したのだが、東京15名京都10名のお客さんがあっというまに申し込まれた。こんなことが、あるのだとその時の感動はまだしっかりあり、それ以降その感動をもういちどという思いで、現在もしごとを続けている。

そしてその流れを横に水平に展開した。そしてついには月商70万円を叩きだすまでになったのだ。それは次の章で。

自分を棚卸すべく、得意な分野で書きまくった

ブログから収入を得る流れをサーフィンで知った私は、仕事を辞めてから、ブログを書きまくった。カテゴリーは多岐にわたった。同じスポーツ系のゴルフを皮切りに、英語やプレゼン、セールスに、コミュニケーションなど、自分が得意なことについて書きまくった。

その結果が見事にでて、ついてには化粧で70万円いたったのだ。現在商品となっているのは以下のとおりだ

スカイプ英語塾
プレゼン上達講座
コミュニケーショントークライブ
ゴルフスイング上達講座
起業専門学校
ライフコーチング

これは全てすでに収入が発生しているもの。やったのはたったひとつ、ブログを書きまくったということ。サーフィンで学んだ流れを、そのまま横に水平展開したのだ。ターゲットを絞るという方法ももちろんあるが、こうやって収入の複線化をしておけば、どれかがこけたときも他が補ってくれるという形ができる。フリーランスには心強い方法だ。

長々と書いてきたが、言いたいことは、準備。

思い切って辞めるというのもひとつの手段だが、じっくり準備して長い期間かけて行なうことで、収入が長い間入らないという不安をある程度回避することができる。あまりにも準備がなく簡単にやめてしまい苦しんでいる人が多いので、このたびこういった記事を書くにいたった。

これから起業をと考えている人の役に立てればこれほど幸せなことはない。給料が入ってこない恐怖は味わった人しかわからない。この恐怖から逃れるために、しっかりと準備していただければなと思う。あなたの夢はかならずかなう。いっしょにがんばっていきましょう。

もっと詳しい話を聞きたい方は今週末大阪で無料のセミナーをやるので参加していただきたい。セミナー後に、起業専門学校の案内をさせてもらうが、入学を強要するなんてことは一切ないので、話だけを聞きたい人も大歓迎だ。皆さんのお越しを待っている。