言いわけ

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「言いわけが必要なんだよ。わかるか河村」3人目の上司が居酒屋で説教をはじめた。新人営業マン河村操、3年目の秋の出来ごと。「ちょっと、わかりません。」

「だから駄目なんだよ。買ってください、買ってくださいじゃ買わないんだよ。」普段はとても優しい上司。声をあらげておこることなんかまったくない。その反動からか、酒を飲むと一変する。

「5月25日の夜、お前どこに行ってたんだ、言ってみろ」突然、指をさして怒りだす。もう、4か月も前のことだ、まったく覚えていないどころのさわぎではない。

「ちょっと覚えていません」と河村操。「お前はあのとき、ここにいたと言ってたんだ。でもここではなかった。3丁目の焼鳥屋にいたんだ。なぜ、お前は嘘をつく」と怒っている。「すみません」

謝ったことで上司は納得した。どうもその日俺を探してたようだった。一緒に食事をしたかったそうだ。その日の翌日に河村操が適当な返事をしたらしく、その裏をとってたようだ。それが今になってようやく言えたのだ、本人に。酒の力を借りて。

そんな上司だが営業のセンスは抜群だ。河村操は彼から随分教わった。

「だから言いわけが必要なんだ」「はあ」「鈍い奴だな、お前は。いいか、例えば吉田町のスナックにお前のお気に入りのお姉ちゃんがいるとする。お前はその子とあわよくば、何とかしたいと思っている。」上司が勢いづく、ただし声のボリュームはおとしている。

「はあ」「はあって、お前なあ。あれ、誰だっけ、お前のお気に入りの」「ゆうちゃんですか」「そうそうそのゆうちゃん、ゆうちゃんと何とかしたいと思わないのか」と上司。「何とかってSEXですか」新人河村操はデリカシーがない。ベテランはそうでもない。だいぶ成長した。

「ば、ばか。そんなはっきり言うな。お前は、まあそうだ、そういうことだ。だからしたくないのか」「めっちゃしたいです。なんか言い方法あるんですか。」

「そうだよ。そこなんだよ。そこは全く営業と同じなんだよ。お前みたいに買って買ってでは駄目なんだよ。お前ならどうやって口説くんだよ。」「1回だけでいいし、やらして」と言います。上司は飲んでいる日本酒をはきだしそうになった。「ばかか、お前はそんなので、はい、いいよ。じゃあ行こうか、なんてなる子はいないよ。」「確かに全然成功しません」「いいか、河村操。そこに言いわけが必要なんだよ。わたし、本当は、くどかれたくなかったんだけど、仕方なくだよ、という言いわけをさせなきゃ駄目なんだよ。」「言いわけですか」

「例えば、終電なんかはいいよな。終電なくなったねどうする?見たいなかんじかな。」「えー、そんなべたでいいんですか」「例えばだよ、例えば。終電なくなったから仕方ないなあタクシーだとかなりかかるし、だから、」「なるほど。それでホテルに泊まろうって、なるんですね。」「ばかやろう。そこでホテルに泊まろうなんて言ったら駄目なんだよ。そこはほら、こう、なんとなく、ながれで」「やらしいですね。^^でもそんなんで成功しますか」

「いやいやそれでも、そんなに上手く行かない。くどかれてもいいという大前提がいるんだ。そのうえで最後のプッシュだよ。はじめから脈がないのに、何をやっても駄目だ。」なるほどと思った。

「商売も同じだと言うことだよ。いらないものはいらないので、いくらそこで上手く言ったって駄目だ。あくまでも向こうが買う気になったときだ。そこで、向こうは買いたいんだから、はいどうぞ。では駄目なんだ」「何でですか。向こうは欲しいって言ってるのに」「ばかだなあ、お前は。お前はセールスとして向こうに行って、商談してんだろ」「はい」「と言うことは、向こうはお前に説得されて買ってんだ」「はあ」「わかんねえのか。お前みたいな若造に説得されて買うのは向こうのプライドを気づつけんだ。お前の話を聞いて、欲しくてたまらなくなったけど、それでは買えないということだ。」新人河村操やっと気づいた。

昔、後輩に欲しかったゲームを譲ってもらう時に、「みさおさん、これ欲しかったんでしょ、はい」って渡されたときに、無性に腹が立ったのを思い出した。そうか、あれとおなじだったんだ。俺は同じことをしてたのか。

「そうだ、そういうことだ。だから、必ず相手に言いわけをさせるんだ。おまえはお願いするのはなんか違うって言ってたけど、それは間違ってる。お前は若造だから最後にお願いしろ。数字が足らないんです。ノルマ達成できないんですと弱みを見せろ。それが相手の言いわけになるんだ。本当はどっちでも良かったんだけど、河村君が困ってたからなあとなるんだ。」

この上司との居酒屋での会話は河村操に終生のこる座右の銘になった。日ごろは何も言えず、飲んだら勢いづく上司だったけど学ぶべきは多かった。この最後にお願いするというスタイルがベテラン営業マン河村操の強力な武器のひとつになったのだ。