絶対に駄目

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わたしは小売店を回るメーカーのルートセールスマン。

ルートセールスマンとは決まったお得意さんを定期的に訪問する営業スタイルをもつ営業マンのこと。3年目を迎えたまだまだ新人営業マン河村操はいつものように小売店を訪問した。この店舗の経営者は女性。明るい大柄な女性。肝っ玉かあさんと言う感じの素敵な女性。それと、あかるく手際のよい若い従業員の二人がきりもりしている郊外型の店舗。

担当して3年目になる。新人のころから担当している店舗でかなりかわいがってもらっている。店舗にも人にもなれ、その店に行くのは楽しかった。歓迎してもらえるからだ。そんなとき事件は起きた。いつものように訪問「まいど~、いつもお世話になっています」「お~河村君いらっしゃい」といつもどうりのあいさつ。

店舗には他メーカーのセールスが1人いた。同業者である。軽く会釈を交わした。そのセールスはひととおり商談を終えたのかひとりで作業をしていた。女性経営者は私と話し始めた。暗黙のルールがある。先に入っているセールスの商談が優先。暗黙のルールというより、むしろ常識だが、さきにおられるセールスが終わってから私が話しをしだす。

この日は女性経営者からわたしにいきなり話してきたのでそのセールスの商談は終わっていると判断した。そして世間話しから商談にはいりひととおり終えた。さきほどのセールスはまだ作業をしていた。わたしは商談を終えたので店をでることにした。経営者と従業員にあいさつし、そのセールスマンにもお疲れ様ですとあいさつして帰ろうとした。その瞬間事件が起こった。

「ちょっと、またんかあお前」後ろから大声がした。どなっている。どうも私に向かって。

振りかえると先ほどのセールスが鬼の形相で俺をにらんでいる。「お前誰や、どこのどいつや。もう2度とここにくるな、名刺だけ置いてとっとと出ていけ」横にいる女性経営者をみた。あちゃ~という顔をしている。

そしてひとこと私に向かって、彼のほうを指さしながら「社長です」全身が凍りついた。終わったと思った。私のセールス人生は3年で終止符を打った。とおもった。3年間の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け抜けた。何やねんな。女性経営者、あなた社長じゃなかったの。もしそうでなかったら、入った瞬間に彼を紹介してくれよ。社長ですって。

のちのち解ったのだが、その店の構図はその女性が完全トップ実質的な経営者。社長はめったに店に来ない。だから2年間通っても会わなかったのだ。しかも尻に引かれている完全の女流社会。店員の女性にもこき使われている社長。そんな空気を感じ取り私もきっとなめていたのだ。好事魔多しとはこのことだ。慣れてきて、空気も読めて、おれは完全にいけているとおもっていた時期に爆弾が落ちた。

当然である。社長の社内での立ち位置は関係ない。対外的には社長なのだ。わたしはそのかいしゃの代表取締役を無視してはしゃいでたのだ。社長がおこるのは、まったくもって正当だ。

平身低頭にあやまり名刺を渡そうとしたがまったく受け取ってもらえず。そこに置いて出ていけの一点張り。「ちゃらちゃらしやがって、何さまだ」。女性経営者も助けてくれる。「あなた、わたしたちも悪かったのね。だから。」

このまま帰ったら人生終わる。そんな気さえ感じていました。必死にくらいつき土下座をするいきおいで頼みました。ようやく名刺を受取ってもらいました。「わかったから、今日はとりあえず帰れ」と一歩前進しました。すこし状況が改善したと感じた私は帰りました。

その日は他の店舗を回れませんでした。車のなかで大いに落ち込み反省しました。何がいけなかったのかしっかり分析しました。調子に乗ってたのは間違いないです。自分がいけていると一番思っていた時期でしたね。

その店舗には1週間後に行きました。女性経営者から連絡がありました。「河村君、今日社長いるよ。来たら。」と。社長が好きなスイーツも女性経営者に教えてもらいました。それを持ってあいさつにいきました。社長は笑顔で迎えてくれました。最高の笑顔で「おー河村君。こっちおいで」と事務所に呼んでくださいました。涙があふれて歩けませんでした。

「この前はどなって悪かったなあ。あんまりお前がちゃらちゃらしてるから腹が立ってなあ。あのあと家内と話して河村君のこと聞いたのよ。良くやってくれているらしいなあ。ありがとう。これからもよろしく頼むね。」嗚咽が出るほど泣いてしまいました。「でもな河村君。今後のために言うといたる。あのときの君の態度はよくない。店にいる人間を勝手に判断したやろ。おれのことを同業と思ったんやろ。だからああなった。かってに判断したらあかん。するんやったら店の人やと思い。そういう判断ならええやろ。間違っても大丈夫や。もっというなら、店の人、同業者と区別せんかったらいい。同業者にもしっかりあいさつしなさい。ライバルやけど仲間でもあるんやで。情報は同業者から入ってくることのほうが多いんやで」

目からうろこでした。わたしは完全にお得意さんと同業者を区別していた。同業者やからライバル、負けたらあかん。お得意様は神様、平身低頭に。と思ってた。そうではないんだ。ということが解った。

あの日は地獄の日だったが、あの日があってよかった。あの日があるから22年後の超ベテラン河村操はできあがった。

その日以来考え方を一変した。店に入った時に全員に丁寧に挨拶をすることにした。はじめて会う人には名刺を渡した。もちろんお客様以外。お客さんくらいはさすがにわかる。お客さん以外の店にいるひとには丁寧にあいさつ。はじめての人にははじめましてと名刺を渡した。始めは名刺受け取ってもらえなかった「私は業者ですから」と。でも続けた。

それをやりはじめて気づいた。凄くいい。徐々に知っている人が増えてくる。するとその空間に知り合いしかいなくなる。これは非常にやりやすい。完全にそこがホームになるんだ。昔はちがった。あいつ何やろ。誰やろメーカーかなあ問屋かなあ。えらいさんかなあ現場の人間かなあ。何を売り込むんやろ。しまったちょっと出おくれた。とつねにいらん予想をしていた。

それがなくなったら楽だ。みたこともない人に出会う。このひとの事知らんからええわではない。むしろ逆。この人知らんからあいさつしよう。知らん人をなくそう。という方が断然気持ちがいい。小売店のエリアマネージャーを無視してしまったと言うことがなくなる。

時にはそこに出入りしているクリーニング屋さんや牛乳屋さんに名刺を渡してしまうこともある。でもそっちの間違いは全然OKである。渡さない人に渡さないリスクのほうが断然大きい。

それがこの地獄体験で得た最高の報酬だ。3年目で良かった。

知らない人にあいさつするのは勇気がいる。必要のないあいさつかもしれない。お前誰やねんっていう顔をされることもたまにある。いや結構多い。でも行けばいい。あの人顔みたことあるけど誰やろと思うよりよほど楽である。

いちど経営者のおばあさんに名刺を渡したことがある。30年ぶりにメーカーから名刺をもらったとよろこんでおられた。

あった瞬間が勝負。時間がたつにつれ、回数をかさねるにつれ、あいさつはむずかしくなる。