集金

シェアする

前職で私は営業マン河村操として商品を売っていた。

商品を売ったらその代金をクライアントさんから頂かないといけない。その方法はいくつかある。振込、銀行自動引き落とし、集金など。昔からのクライアントさんは比較的この集金スタイルを継続しているところが多い。顔が見えないと不安と言う理由もある。

その中で月1回の集金時に毎回、孫が中国に言った話をするクライアントさんがあった。当時85歳だった。集金は月末に集中する。出来れば時間をかけずにお金をいただき、どんどん回りたい。集金だけならいいが、ノルマの締めも月末なので、売り込みも同時にしないといけない。

1時間かかる。最低1時間は話を聞いて行かないと集金出来ない。いや集金出来ないわけではない。一度だけ本当に時間がなくてすぐにお金をくれと言って集金して帰ったことがある。その時もすぐにくれた。だから別に1時間話を聞かないといけないと言うことはない。

でも何故かそういう流れになり、おばあちゃんも楽しそうに話すのでそのパターンは踏襲した。最初からあのクライアントさんは1時間かかると思えばいいのだ。決めてしまった。毎回同じ話。だしてくれたお茶と和菓子を食べながら話す。

毎回同じ話をするのでお孫さんがどのルートで中国全土を旅したか覚えてしまったほどだ。お年を召されているのですこし記憶がと思って聞いていた。

いよいよ担当変更になりあいさつに言った。するとおばあちゃんは、「それは寂しくなるねえ。河村さんなら栄転だね。頑張って送れよ。ちょっと待ってね」と奥に引っ込んだ。そしてお祝い袋に祝栄転と書いて餞別をくれた。

全力で断った。クライアントさんからもらうわけにはいかないし、まして栄転でもないただの異動だ。でもおばあちゃんは引かなかった。

「私の孫としてもらってくれと言った。それだったらいいだろう」と河村さんは私の話を毎月聞いてくれた。同じ話なのに1時間聞いてくれた。それが嬉しかった。あなたと話するのがとても楽しかったというのだ。それがないと思うと寂しくなると思うと言った。

私は受け取ることにした。孫として受け取った。孫は大きくなって全然会いに来てくれないので寂しいと、最後に告白してくれた。

毎回同じ話を、はじめて聞くような感じでリアクションを取っていた私をどう思っていたのだろうか。毎回同じ話をしてごめんねと言うのは、どういう意味なのだろうか。

毎回孫の話をと言う意味なのか、それとも、毎回孫が中国に行ってた話をという意味なのか。どちらが正解かによって大きく意味は違ってくるが、まあいいだろう。喜んでいただけたのが一番だ。

毎月非効率この上ないと思って望んでいたこの集金。まったく意味がない行為ではなかった。効率も極めすぎないほうがよい事もきっとあるのだ。