「では最後にもうひとつだけよろしいですか」
そう聞かれてうなづいた私に、記者さんは続けた。
「5年生存率が50%を切るという非常に厳しいこの世界で、河村さんが3年間生き残ることができた最大の理由は何だとお考えですか」
これが恐らく今回の取材における最大のテーマなのだろうなと思いながら慎重に頭のなかを探り、言葉を選んで丁寧に言葉を発した。
「会社を辞めた翌月に、いきなり売上が40万円あったというのが、今思えば一番大きかったのではないかなと思っています。もちろん、そうするために、会社をやめる何年も前から準備してきましたけども」
そう、答えたあと、記者さんが帰りたがっているのを感じながら更に続けた。
「将来起業しようと決めてから、実際に独立するまでの間にできることって思いのほか多いのです。給料をもらいながら、将来に向けての準備ができるというのは、最高のシチュエーションだなというのが、独立して3年たって、思ったことです。みなさん簡単に辞めすぎです」
記者さんと同伴してきたカメラマンさんは、次の予定があるのか、私の回答を聞きながら、椅子から少し腰を浮かした中腰になっていた。急いでいるのはわかったが、これだけは言っておきたいと、さらに続けた。
「サラリーマンを長く続けてきた人間にとって毎月25日に振り込まれる給料は麻薬みたいなものです。独立したらそれが入ってこなくなります。もちろんボーナスもです。恐らくですが、それに耐えることができる人はそう多くありません。ほとんどの脱サラ起業家がそれに耐えることができず、やめていきます。わたしだって、耐えられないでしょう。あらためて、初月から40万円の売り上げがあったことが、私をここまで、支えてくれたのだなと思っています。あれによって、目先の売り上げに翻弄されることがなくなりましたからねえ」
そう言い終えたとき、2人は完全に立ち上がり、椅子を元あった位置に戻し、立った姿勢で聞いていた。
彼らが私の長い話に少し辟易としているのを当然感じたが、これから起業してくる人たちに、どうしても伝えたく、気にせず続けた。悪いことをしたと思いながら、2人と握手をし、軽い会釈で、再会を誓い別れた。
今から1ヶ月前の2014年の11月初旬に、私のコンサルタントある友人から連絡があった。脱サラ起業家向けの雑誌で、40代後半の起業家を取材対象として探しているみたいだから、河村さんのこと紹介しといたからと。
テーマは独立前の不安や、独立前後の気持ちの変化やそれぞれのメリットデメリットなど、独立にあたって、およそ出てくる問題全般について聞かせてくださいと、事前の連絡もきた。それを機に私は3年前に遡り、何があったか、どんな気持ちでいたかなどについて記憶を辿っていた。
実際は独立した3年前より、もっと戻る。そうでないと、3年前の状況について正確に語ることができないからだ。
「この本読んでみ」
東京ディズニーランドに遊びに行った際、転勤でディズニーランドの近くに引っ越しした学生時代の友人の家に泊めてもらった。ありがとうそろそろ帰るわとお礼を言った時に、帰りの電車の中で読めと本を渡されたのだ。
振り返ってみると間違いなくその本が転機になっている、今思い起こしてもあらためて思う。あの本に出会わなければ、私は今も会社にいた。それほど影響をあたえてくれた本だ。その本が爆発的に売れた本田健さん著の「ユダヤ人大富豪の教え」だ。
衝撃を受けた。こんな生き方があっていいのか。もんもんとしながらサラリーマンを続けていた私にとって、その本に書かれていることは全てが新鮮だった。それと同時に目の前の霧がはれるように世界が広がった。俺もこんな風にいきたい。
当たり前のように高校に進学し、皆が受けるからと自分のその時の成績に応じたレベルの大学を適当に選び受験した。ごくふつうの学生が過ごすように、たいした勉強もせずに大学生活を終え、就職活動をおこない、給料がよいと言われる製薬メーカーに就職し、なんの疑問も抱かず、仕事というのはしんどいものだと思いながら15年ほど日々を過ごしていた。
そんな私には衝撃が過ぎた。なんだこの本はと。もしかしたら、私が知らいないだけで、こんな類の本が世の中にたくさんあるのかと、それを機に本屋へ行く回数が増えた。いわゆる自己啓発書というジャンルになるのだが、そのあたりの本は、その当時はまだそんなになかった。古典と言われる<人を動かす>や<思考は現実化する>本が店頭にならぶくらいだった。わたしはそれをむさぶるように読んだ。
こういう世界があるのか。わたしの思考はそれを機に変化していった。そのころから、いわゆるビジネス書のブームが始まり、自己啓発系の本も、本田健さんの本を境に徐々に店頭に並ぶようになった。わたしもひととおり目を通したが、本田健さんの本を読んだ時のような衝撃はすでになかった。
彼のおそらく2冊めの本がでたときも読んだが、1冊めの衝撃はなかった。ああ、これはやるべきときにきたなと直感的に思った。知識はすでに脳にインプットされて、それ以上いれることを拒絶している、やれと脳が言っているんだなと思った。そして、わたしは行動にでた。
書き始めた。ちょうどその時ブームになりかけていたブログというものをやりはじめた。ブログは世界中の人が読める日記だよという説明がされていたように思う。世界の人が読める日記か、だけど、俺の日記なんて読んでおもしろいのかと考えた。
どうせなら面白くて役に立つことを書こうと思った。さいわいなことに時を同じくして、趣味であるサーフィンを教えてほしいというオファーがサーファーの後輩からもらったのだ。
その時私は38才。28才のときに趣味で始めたサーフィンがちょうど10年のキャリアを迎えようとしていたその時である。サーフィンはスポーツの中でも上達が非常に難しいと言われている。28才という比較的遅めにスタートした私は、当然だが、子供が上達するようには全然上達しなかった。
そこで私は大人ならではの優位性をつかい理論を使うことにした。経験と知恵を駆使して、理論的に上達しようとしたのだ。そして理論を探しまくった。ところが、ない。サーフィン上達の理論が世にあまりでてなかったのだ。
サーフィンはスポーツであると同時にカルチャーでもある。サーフィンをやるということ自体がスタイルなのである。理論的に上達するなんて、ださいという雰囲気もあった。上手い人はみな感覚的に指導した「波のトップにきたときに、グッと押すんだよ波を」
こんな指導では私は上達できなかった。元来の理論好きが邪魔をして感覚的になんて無理だったのだ。仕方なく私は自分で理論を作ることにした。ビデオでプロの動きを見て、海で上級者の動きを見て、私は独自に分析し理論化していった。
試行錯誤を繰り返し、ようやくプロや上級者がどのようにサーフィンしているかがわかってきた。そして、それを徐々に言語化していき、それと同時に実践を繰り返した。努力のかいがあって、わたしは相当高いと言われている上級の壁を乗り越えた。それがちょうど38才の時であった。
それを機に私のサーフィンは上達していった。同じように壁にぶつかっていた後輩や仲間が声をかけてきた「先輩最近、サーフィン絶好調ですね、どうやっているんですか」と。上達できない苦労をいやというほどわかっている私は、アドバイスを求めてくる彼らに持論を展開した。
理論を聞いた後輩が徐々に上達するのを見てその輪が広がってきた。教えを請う人間が3人4人と増えてきた。ひとりひとり教えるのがめんどくさくなった私は、そう前述のブログを使うことにした。
「ブログってしってるか?まあええわ、そういうのがある。そこに理論書くから、インターネットでみてくれ」
そう言って、彼らにURLを教えた。そして彼らはそれを読んで上達する人間は上達して行った。私はやがて、それが世界中につながっているのを徐々に意識するようになった。元々は4人に向けて書いていたのだが、これが全世界につながっていると思うと欲がでてきた。
絶対にこの方法を求めている人がいるはずだ。高い壁に上達を阻まれている人間がいるはずだという思いが強くなった。そして、私は彼らを意識して書き始めた。文体を少し変えた。丁寧にもっと詳細に書くようにした。
ところが全然であった。本当に世界につながっているのかと思うほど、アクセスは増えなかった。人間は欲深い。最初は4人と思っていたが、世界がターゲットと思うと、彼らに読んでもらうだけでは物足りなくなる。アクセスが増えないことで、モチベーションがドンドン下がってきた。
なにがブログだよ。全然だめじゃん、だれも読んでくれないじゃん。その状態が2ヶ月ほど続いた。もうええわ、やめようと、思ったその瞬間、いつものようにブログを開くとブログのコメント欄にコメントがはいっていた。
「はじめまして、イクイクといいます。いつもブログ楽しく拝見させていただいております。こんな画期的な理論ははじめてです。早速海で試してみたら、今までまったくできなかった技ができるようになりました。更新は大変だと思いますが、是非続けてください。たのしみにしています」
なんじゃこれは、私は椅子から立ち上がり、声をだしてよろこんだ。くるくる回転した。ウォーと声もあげた。なにせ私は興奮した。これが世界とつながるということなのか。ブログは日本語で書かれているので、おそらく日本の人しか読めないのだが、世界を強烈に意識した瞬間だった。
同時に本田健さんのことも思い出した。こういうことかと。
もちろん、この時点ではこれが商売になるとか、これで生きていくとかは全く考えていなかった。そんなことより、自分の考えたものが人の役に立つことが嬉しかった、世界につながっていることが嬉しかった。
それ以降私はブログにどっぷりはまっていった。イクイクさんのためだけに書こう。彼がいる限りブログを書いていこうと、日々更新するようになった。それ以来現在まで、今はメルマガにスタイルは変わったが、7年ほど続けている。
ピーク時は4000PVを数えるブログになった。月間のPVは10万を超えるそこそこのブログに成長した。何も特別な事をしていない、ただただ、イクイクさんのために理論を綴っていっただけだった。
するとある日、はじめて3年位たったころにメッセージが入った「直接教えてもらうって可能ですか、もちろんお金はお支払いします」
私はおどろいた。なんじゃこりゃ、お金払うって何に対して?まさか、俺の理論に。混乱した。これって売れるの?商品になるのと。少し冷静に考えてみた。よく考えたら、世の中は色々な技術を教えてお金をとっている人はいる。そろばんの先生や習字の先生、ピアノの先生もそうだ。
そう考えると、サーフィンを教えることでお金になるのは何ら不思議ではないし、海ではスクールもある。とはいえ、それを自分に置き換えて考えることなんてしたことがなかった。まさか、素人の俺が、趣味でやっているこれがと、想像もしなかった。
わたしはそのメッセージを何度も読みなおした。これが、本田健さんが言ってたことか。3日ほど考えた。もしかして、いやいや、まさかを繰り返した。これで飯が食えるなら、こんな幸せなことはない。だよね、そんなに甘い話はない、好きなことで飯が食えるならみなやってるよ。
仕事は苦しいものだという固定概念が強烈なボトルネックとなった。私はまったく受け入れられなかった。もういちど自己啓発系の本を読み返した。もちろん本田健さんの本も読んだ。
そして決断した。やってみようと。
私はサーフィンのスクールを開校することにした。ただし海ではやらなかった。理論を教えるなら会議室でいいだろう、実践は海でそれぞれやってもらおう。私はそうやって上達した、同じ方法で上達する人はいるはずだ。
とはいえ、不安だらけだった。会議室で行なうサーフィンスクールなんて聞いたことがない。おそらく世界中でやっているところはない、でも、自分はその方法しかない。それ以外はやる気がない。私は腹をくくって、日程を決め会議室を借りた。想定人数は20名。
覚悟を決め、募集記事をブログに書いた。朝書いて仕事に向かった。仕事を終えて帰宅しメールボックスを開いた。
なんと10名以上から申し込みがあった。
はじめてイクイクさんからコメントをもらったときと同じリアクションをした。椅子からたちがたりウォーと叫びくるくる回った。回数は10倍位行なった。10回以上繰り返した。
この時の衝撃は今も忘れられない。私はセールスとして10年以上ものを売りまくってきた。ものが売れた時の喜びは知っている。ところが、まったく違うのだ、今までの喜びとは全然違う。これが仕事になるとどうなるんだろうと考えた。
結局そのときはそれが本業になるイメージはわかなかった。ところが、それは回を追う毎に人気があがり、仕事をやめる直前に開催したスクールは募集1時間足らずで、売り切れた。
その時は決めていた。これで食っていこうと。もちろんサーフィンだけでは無理。私はそれを横に展開していこうと決めた。おなじパターンで、自分の中にある価値を売っていこうと。私が得意な英語とプレゼンとゴルフについて同じように展開しはじめた。
ブログを書き、技術理論を世界中に放つ。そしてそれを教えてほしいという人をお客さんにする。ひとつの収入は低くても、それが複数あることで、なんとか生きていけるのではないかと踏んだ私は、思い切って会社を辞めた。それが3年前の冬のことである。
今現在わたしはあらたな事業として起業のスクールをたちあげた。わたしのように自分の好きなコトや得意なことや趣味で起業したいかたのサポートをしている。昨年10月から始まった。0期生として募集した生徒は無事に卒業して活躍している。
1月から1期生がスタートする。彼らも今から始まる夢にワクワクしていると思う。
ビジネスを始めようと思って7年位たつ私がみなさんにお伝えできることはそんなに多くない。その中でひとつだけ確実に言えることがある。
簡単に会社を辞めるな。
である。わたしが会社をやめたその月から40万円の収入があったのは冒頭に述べた。それがあったから、3年経った今も生き残っているのだとおもう。お金が入ってこない恐怖から冷静な判断ができなくなり、起業をあきらめていった人間はたくさんいる。彼らはみな焦っていた。私にはその焦りがなかった。収入があったからだ。
皆さんにもこういう形で起業して欲しい。ようはサラリーマン時代にできることを、充分してから辞めてくれということだ。あなたの好きな事や興味があることをブログに書くのは複業でもなんでもない。就業規定にも抵触しない。
実はこれが将来のお客さんを作る唯一で最高の方法なのだ。ただただ、ひたすらブログを書けばいい。そして反応をみればいい。いけると思えば辞めればいいし、無理だと思えば辞めなければいい。あなたが伝えたいことを伝え、それを必要としている人がいるということは、それが収入につながるかどうかは関係ない。
決して辞めないでいただきたい。あなたが起業に向くかどうか、充分な試験期間をへてからでも全然おそくない。
私から皆さんに贈ることができるのはその1点だけだ。サラリーマンをしながらできることって思っている以上に多い。それをやってから辞めてもまったく遅くない。
この本ではそのあたりにこだわって徹底的に書いている。会社を辞めたい人が、やめる前にできる50のことについて書いた。あなたができるところからはじめて欲しい。それが起業への階段を1歩1歩登ることになると思う。どうぞ、頑張っていただきたい。