わたしの40才のときの価値は年間740万円だった。

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年収が740万円だった。

とある製薬メーカーが俺を評価し毎年毎年この値段で買ってくれてたのだ。私にはそれだけの価値があると判断しお金を払ってくれていた。まあ悪くない年俸だが、思い切り働いた。1日の拘束時間は14時間くらい。勤務時間というより、なんだろう、頭のなかを支配されている感じかな。

営業マンだったのでノルマがある。そのノルマを達成するために、いっつも、四六時中考えているイメージ。土日は休みだったが、フとしたときに脳の中に仕事がよぎる。月曜日の一発目はあのクライアントの商談だな、うまくいくかなあ、もういちどシュミレーションをと、あたまのなかで商談のロールプレイをしてしまう。

イメージ的には人生のほとんどをもっていかれていたというかんじ。それでも安くない収入なのでまあ、そんなものかと思ってやっていた。面接をして、毎年すこしづつではあるが給料をあげてくれて、22年間もクビにすることなく雇ってくれていたのは、それだけの価値があるとしてくれていたからだろう。
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実際は、それほどの価値はわたしにはなかったが、会社に余裕があったから、雇ってくれていたような気がする。従業員ひとり雇うのに、給料の2倍の経費がかかるとなるとおよそ1500万円。40才のおれに、それほどの価値があったかどうかは、かなりあやしい。

一般的に、あなたの社内価値>社外価値という絵になるとおもってまちがいない。

あなたがいきなり会社をやめて、750万円の経常利益をあげられるかというとおそらくそれはそんなに簡単ではないだろう。会社ってすごいなあって、会社をやめてから思う。交通費もガソリン代もパソコンもコピー代も、全部自分で払わないといけないからね。企画を考えているあいだは、一銭もお金が発生しないからね、フリーランスは。

給料もらいながら企画考えられるって天国だぜ。

だから、サラリーマンがやっぱりいいよ、保証もあるからねって話ではない。サラリーマンをやめて、人並みの苦労はしているし、サラリーマンってすごいなあとは思うが、そこに戻れって言われると、もう絶対に無理としかいえない。

サラリーマンがいやとかではない。実際わたしは、会社をやめるとき、不満は全然なかったし、仕事も楽しかった。やりたいことがあって辞めたのだが、まあ大変だが、仕事の楽しさから言うと、フリーでやっている方が断然楽しい。

全部自己責任というのが最高の部分だね。やりたかったら、なにをやってもいいけど、それが売れなかったり、評判をおとすことになったりすると、それは即刻自分に帰ってくるからね。結果がわかりやすい。だめなほうが多いけど、たまに上手く行った時の快感は何ものにも代えられない。

ひとことでいうと、例えば商品を売るって行為を全部自分でしないといけないところが大変だ。

わたしはセミナーという商品を売っている。商品はすばらしいとしても、それがすばらしいんだよってことを、自分で伝えていかないといけない。それが結構たいへんだ。

とはいえ、それは自分の価値はこれですよってことを伝えることなので、就活で学生がやっていることと同じなんだよね。価値を認めてもらってお金をだしてもらう。それとなんらかわりない

ようはそういうこと

サラリーマンと事業主をわけるってのはナンセンス。あなたのなかにあるお金に変わる価値を、どうやって買ってもらうかってのが、仕事の基本だ。買ってもらったら、もっと高くかってもらうように、品質をあげる。サラリーマンなら自分を磨くし、自営業者は商品を磨く。自分が商品という人は自分を磨く。

そうかんがえると人生はシンプルになる。

人生の中で多くをしめる仕事。それは、あなたのなかのお金に変わる価値をお金にかえる行為。

わたしの中にある価値ってこんなんなんですよと、私の場合はブログで発信しまくっていたら、おお、いいじゃん、その価値俺が買うわとか、わたしの会社でそれを使いたいとかで仕事をもらっている。

河村さんその価値おもしろいですね取材させてくださいってなってマスコミにとりあげられる。価値に値打ちがあり特徴があり、そして、それを上手く伝えているからそういうことがおこる。

人生ってビジネスってシンプルなんだよね。

いやシンプルと仮設を立てて、その価値を金にかえる行為にとっととうつったほうがいいと言っているのね。いつまでも、自分にあった人生はなんだってやっているひまがあったら、とっとと決めてやるほうがいい。

あああ、教えてくださいって言ったから教えてるのに、でもってやつが多すぎる。まあやるやらないは自由だけど、お金と時間をかけてそれを習っているのに、もったないよ。

とっととはじめよう。

わたしの商品はこれです。どうです、まあまあいいでしょ、買ってね、って。

やりましょう。