ストーリーテラーになろう

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ブログで配信する。当然だが、配信するなら、より多くの、それに興味を持ってもらう人に読んでもらいたいと思うのが普通の感情だろう。当然、わたしも、より多くの人に読んでもらいたい。

では、どういうものを提供するとより多くの人に読んでもらえるかということなのだが、まあ、色々ある。その中のひとつで、とても大切だなと思うことが、題名にもとりいれたストーリーテラー。

あなたの伝えたいことが、ストーリーになっていれば、より読んでもらいやすい。理由は、面白いから。

ストーリーってなんだ。ストーリーといえば小説なんかが代表されるものだが、小説の文章は3つの要素から成り立っている。説明と描写と会話だ。

この3つがバランスよく配分されているとストーリーは読みやすくなる。具体的な会話がなく、説明ばかりだと話はたいくつになる。ブログで言えば、抽象的に人生や経営を語ると、とたんに退屈になる。成功したすごい経営者の話はそれでも面白いが、私が経営を語ったところで、まったく面白くないものになるのは必至だ。

説明はほどほどに入れるのがいい。そして一番大事なのは描写力。私はあなたが好きですということを伝えるのに、たかしは心の底から娘の智子を愛していた、と書いてもだめ、これは説明になる。娘を愛している様子を描写する。

右ポケットに手をつっこんで、車のキーを取り出す。キーホルダーにはスタバのプリペイドカード、近所のスーパーはぴろくのポイントカード、ダイソーで買ったワイヤー型自転車キーの黄色い鍵、そして、先月購入した築30年のマンションの扉をあける鍵がついている。

わたしは、5つも6つもアイテムがついているキーホルダーからシリンダー式の鍵を器用にとりだし、扉に挿して右に回す。中で妻が換気扇を回しているからだろう、扉が重い。部屋の空気が換気扇から出ることにより室内の空気圧がさがり、それが扉を中に引っ張り、外に引くのが重い。

普段より少し力を入れて扉を引く。ガチャッといつもより大きな音を立てて扉が開いた。開くと同時に「ただいま〜」と換気扇の音に負けないように少しデシベルをあげてさけぶ。

帰ったことを知らせ、玄関で靴を脱ぐ。右足から脱ぐのがわたしのやりかた。左足の靴に手をかけた時、廊下の先にあるリビングの扉があく。わたしはこの瞬間のために生きている。ゆっくりと開くドアの隙間から、ドアの高さの下から3分の1のあたりに顔がでてくる。

体がギリギリ通るくらいのスペースに体をよじるように入れ込み壁にお腹を、ドアに背中をぶつけながら目をわたしからはずすことなく、なんとか通り抜ける。よちよちと体を右に左にゆさぶり、両手を前に出して15センチほどの歩幅でこちらに近づいてくる。

全身の力が抜ける、顔がかっと熱くなる。あらためて思う。俺はこの瞬間のために生きているのだと。

稚拙な描写で申し訳ない。このように描写をすることでストーリーになりイメージが脳に浮かぶ。

これを説明で書くとこうなる。

仕事を終えた私はマンションの扉をあける。ドアをあけると愛する娘がいきおいよく私に向かって走ってくる。私はこの瞬間が好きだ。

わずか2行ですんでしまう。シーンがイメージできない。こういう話が続くと面白くなくなる。もちろん、小説の中では必要な要素。すべてのシーンを先ほどのように描写していると、ストーリーが全く進まなくなり、読み手はイライラする。

このあたりのバランスが難しい。例えば私がこのブログでたまに展開する新快速シリーズ。新快速の中で起こった出来事をおもしろおかしく書くのだが、そこには絶対的な描写力が必要になってくる。

それを説明だけですますと、まったくおもしろくなくなる。絶対に描写が必要になる。描写にも問題がある。先程も書いたが、どうしたって文量が多くなる。描写するシーンが多ければ多いほど文章は長くなる。書くのが大変になるというわけだ。

新快速シリーズは面白いので、もっと書きたいのだが、書くとなると尻込みする。うう、また長くなりそうだと。

描写があるほうがストーリーは面白くなるのは間違いない。だけど、そればかりでは、ストーリーが間延びする。説明を加える事で展開をはやくできる。臨場感を出すために適度に会話をいれるのもいいと思う。

ストーリーを書くにはこの3要素をバランスよくもりこむのがいい。話の内容によってかえることも必要だろう。こういう要素があるというのを知っているだけでも、だいぶ違ってくる。