嫌で会社を辞めたのではない

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製薬メーカーに勤めていた私は結構な給料をもらっていた。入社してしばらくは嫌で仕方なかった仕事だが、辞める頃には嫌なことなんてほとんどなくむしろ楽しかった。給料も高い、仕事も楽しい、普通に考えると辞める理由なんて一切ないと言える。それでも僕は会社を辞めた。

どうしてもやりたい事があったからだ。それが何なのかは主旨がづれるのでここでは割愛するが、人生は短いのだからやりたい事をやったほうがいいんじゃないかと思ったのだ。仕事は嫌でなく楽しかった。では、なんで辞めたのって聞かれると、やはり、それは自分がやりたいことではなかったからだとなる。

色々着眼点はあると思うが、それがやりたい事かどうかの判断は結構いいのではないかと思う。サラリーマンだからとか事業主だからとかの基準は必要ないと私は思う。私の価値観でということね。例えば私の夢が大きな橋やでっかいビルを作りたいというものなら、会社を辞めて、会社を立ち上げてというのは、もちろんその可能性は0ではないが、現実的でないだろう。

その場合、前に勤めていた会社で、橋を作ることは難しいので、辞めた後、それをやっている会社に入れるようにがんばるという方法がある。夢をかなえるために独立するってのだけが方法ではないということになる。

逆にサーフィンを会議室で教えたいという夢や目標があったとしたら、それをどこかの研修会社に修飾して、企画を通すという作業より、自分でやったほうが早いということになる。

自分がやりたいことをやるためにどうするかという選択の方法は、、生き方を決めるひとつの方法という意味ではなかなかよいのではないかと思う。

こう書くと、そんな事でお金が入るなら皆やっている。やっぱりお金だよという意見もある。いやいや、それは違うよ、という議論はあまりにも不毛。価値観がそこにある人は、その選択肢で生きていけばいいのである。

お金がない時はお金がすべてに思える。私は学生時代とカナダに住んでいた時は所持金が数百円、家賃を13ヶ月も滞納するという極貧生活をしていたことがある。そんな時は明日食うためにどうやってお金をしかなかった。一方サラリーマンの時は結構な給料をもらってたので何不自由ない生活をしていた。

両方体験した私が言えるのはお金はさほど生きていく上でさほど重要な因子ではないと言うこと。お金は絶対にいるが照準をそこに合わせる必要なないなと思う。それはやりたいことなのかを基準に行動を決めるというのは結構いいのではないかと思う。

昨日友人の会社設立パーティーに行った。その中で彼は語った。どうしてもやりたい事があり会社を立ち上げた。そのために必要な資金が手元になかった。彼はどうしても会社をあきらめきれなかったので、そのために、夜8時から、翌朝8時までの工場の勤務を決めた。夢をかなえるためにお金を作ったのだ。ちなみに、かれはもうすぐ50を迎える普通のおっさん。今の日本、飯を食おうとすれば働き口はある。

自分のすきなことをやるという道を選ぶということ、そう悪くはないかもしれない。