評価なんてあとづけ

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日本代表のグループリーグ敗退をうけ日本代表について散々語ったが全部あとづけというかなんかそんなかんじだなって思う。

もし大久保が決定機で1本決めコロンビアに2−1になって、相手がやる気をなくし、そんなに無理しなくても俺たち行けるしって手を抜いてそのまま終わりギリシャが勝っていたら日本代表は決勝トーナメントに行けた。たらればないが、もしそうなってたらどうなってたか。マスコミは当然ミラクルと書きまくるいいまくる。それをうけて日本中が狂喜乱舞の渦に。

誰一人として大久保やザックや本田の批判をする人間はなくなる。大久保の招集をキセキだとしザック采配を大絶賛するだろう。これって考えたら不思議ではないか。勝とうが負けようが4年間日本代表がやってきた練習が変わるわけではないのだ。ストレッチをしランニングで体をあたためザックの指示の下戦略を叩き込みパスを回してシュートを打つという練習は、すでに過去のできごとなので、絶対に変わらないのだ。

ところがその印象は変わる。勝てば大久保の招集は奇跡だとなるが、負ければとんでもない事となる。大久保をザックが招集したという事実はなにも変わらないのに。これがコーチングや自己啓発で言われるところの過去の記憶の書き換えなのだ。結果によって過去の印象が大きく変わる。

例えばこういうのはどうだろうか。東京に住む息子が地方の母親から、新宿駅前の宝くじやは1等が何本もでてるから1万円分かっといてと頼まれた。息子は確率の問題だからどこで買ったって一緒だよと思いつつも、わかったよとこころよく買った。そして買った宝くじを書留で母親に送った。受けっとた母親から早速連絡が来た。

あんたこれ何?お母さんこんなにたくさん買ってってたのでないわよ。これいくら分なの?息子は100万円分だ答える。お母さんは飛び上がって驚き怒りなげく。1万円っていったのに、どうすんのよ100万円も、最悪と、息子に大金を持たせておいたことと、頼んだことを後悔して後悔して眠れなかった。最悪の過去のひとつとして記憶された。

ところがその宝くじが見事に3億円になったとしたらどうだろうか。過去の最悪の記憶は一気に最高の記憶に変わる。やっぱり私の息子ってなる。

そう両例とも過去の出来事は何も変わっていない。ザックは大久保を招集したし、息子は100万円分の宝くじを買った。でも結果によってその評価は大きく変わる。良い結果ならザックと息子は神様だし、結果が悪ければ最低最悪の戦犯になる。

評価なんてその程度のものである