英語。ちょっと語っても良い気がしてきた

シェアする

私は英語を話せます。どれくらい話せるかはものすごく抽象的な話なので表現が難しいが、TOEICの点数は670点。これからおおよその判断をしていただきたい。この670点という数字。800点以上の人から見たらまだまだ。300点の人から見たら、まあまあ凄い。英語に興味のない人にとったらいいのか悪いかも不明。どうでもいいかもしれない。

余談だが、670点ですというときに、気負いも、謙遜も、誇張もいらない。いつも言ってるが、判断するのはマーケット。まかせておけばいい。

今回英語を話すという点においてのみ、書くことにする。なぜ、ここにきて「ちょっと語っても良い気がしてきた」かについて、まず書く。

今回、自分の中で大きな変化があった。ひとつの壁を超えた気がした。と同時に、この壁を超えることで、英語をネィティブ側で使うことが出来るのではないかと感じた。すなわち、この壁の手前側でいくら熟練しても、それすなわち英語を自身のもう一つの言語として習熟することにはならないのではと言うこと。

日本語で考えたものを英語にしているというのが壁手前の世界とするなら、壁の向こうは英語で考え英語で対応しているというかんじ。いや、実は、厳密にいえば考えているかどうかもわからない。ほとんど反射的に英語で話している感じだ。

日本語で皆さんが話すときの事を考えていただきたい。なにか話そうとするときに、何か話そうと考えてから話しているだろうか。そんなことはないですよね。きづいたら話していますよね。

では、英語を話される方、勉強される方は考えて欲しいんですけど、英語を話すときってどうですか。なにかこう話そうとしてから英語を発するとか、頭の中で英語のセンテンスを組み立ててから、もしくは、暗記しているフレーズを思いだしてから話していませんかね。私はずっとそうやっていました。

さすがに、How are you? や、 What time is it?, How much is this? とかは考える前に出てきましたが、「お薦めのレストランを教えていただきたい。わたしは肉が駄目なので、魚料理や野菜の料理がおいしいところがいいです。料金はひとり20ドル位でおさまり、ここから歩いて行けるところがいいです。トラベラーズチェックって使えますかね。クレジットカードをもっていないので、それが使えるところがいいです。ていうか、ここで現金に換えてくれる?パスポートいる?今ないねんけど、面倒くさいからもうええわ」位の文章になると、いちいち頭の中で英語のセンテンスを作ってから話していました。

それが、最近変わってきたのです。前述の文章くらいなら、まったく用意せず、Excuse me?から話し始めたら、知らんまに最後まで聞き終え、手に持っているトラベラーズチェックが手元にあり、シーフードのおいしいお薦めのレストランの場所の書いた地図まで手に入れているという状態になっています。

この壁の発見はとてつもなく大きいです。壁は高くありません。ここにたどり着くことが出来たらのりこえられます。しらぬまに乗り越えている人もいます。ただ、あるのが知らなければ壁の手前で、壁の手前の世界最強になるためにトレーニングをし続けてしまうかも知れません。

この壁は意外なことがきっかけで発見されました。去年の12月に逐次通訳をほぼ強制的にやらされた時でした。わたしのレベル(TOEIC670点)で逐次通訳って普通はないです。ですので受けません。事前の話では、先に用意された日本語の原稿を英語に訳すという仕事でした。その原稿を読むような感じで、そのひとが日本語であいさつします。わたしはそのあと通訳します。実際は事前に作った英語を読むだけです。

発音はそこそこなので、問題はないはずでした。ところが当日、予期せぬ出来事が起こりました。通訳するのはその主催者のあいさつだけということだったのに、続いて話した主賓、来賓の逐次通訳をやらないといけなくなったのです。「聞いてないよ~」です。

主賓の方があいさつし始めました。私はひと仕事を終えほっとしていました。すると、その主賓のかたが、「あなた、なにやってんの、訳しなさいよ」となったわけです。びっくりしました。事前に用意された原稿ならそれを読むだけなら出来ます。ですが、今話された内容を英語に訳すなんて。絶対に無理と思いました。

ですが、やらないとどうしようもありません。腹をくくってやりました。結果、大成功です。そのかたからも最後には良かったとお礼を言ってもらえました。その時です、この壁の存在を知ったのは。逐次に通訳しないといけないので英語の文章を作っている間がないのです。

主賓の人が話した日本語をイメージに置き換えそれを英語で話すんです。とれあえず、発生します。I am very happy to be…..と始めます。すると、その後にどんどん英語が出てくるんです。自分でも驚きました。自分で意識していないのに俺英語で話してるやんという、とても不思議な感覚でした。もちろん、完璧な正確な英語ではなかったのですが、英語として充分機能しているものでした。

今ではその状況に置かれたこと置いてくださった方にとても感謝しています。壁を発見できましたから。今、この壁に最短で向かい、それを最速で乗り越える方法を模索しています。だいぶ見えてきました。あとは体系化するだけです。

無意識下です。言葉は無意識が支配するようにならないとおそらく使えません。子供が言葉を覚えるように習う、日本語なんか文法をならわずにも話せたという考えは、この無意識下で支配する方法を言っています。

当然その方法は最高ですが、違う道からこの無意識下に働きかける方法もあるのです。最終的には英語ネィティブが話している方法に近いものを目指します。そのためには無意識下です。でもいきなり無意識下でやるより、意識的に学びそれを無意識下に持っていく方法のほうがはやいと私は思っているわけです。

習慣を例に出すとわかりやすいでしょう。

私は車のカギをいつも探していました。出発するときに車のかぎがいつもないのです。リビングのテーブルの上にあったり、ズボンのポケットにあったり、下駄箱のうえにあったり、かばんの中にあったりでした。それをいつも探していました。

これは効率が悪すぎると思い、置く場所を決めることにしました。下駄箱の上にカゴを置きました。車のカギはそこに置くと決めました。最初は全然おけませんでした。ズボンのなかから発見した妻がカギはどこにおくのと、いつも怒っていました。

日を追うにつれ徐々に、カゴの中におく率があがってきました。今は完全に習慣になりました。絶対に他にはおいてません。鍵を探すことは皆無となりました。必ずカゴの中にあります。意識してカゴの中に置こうという思いもありません。そこに置いたと言う記憶がいっさいありません。

完全に無意識が行なっています。これが習慣です。英語も同じだと思っています。意識的に最初は学びます。何度も何度も、What is your name?(実際、名前をこのように聞くことはありません。唐突すぎるし、えらそう過ぎます。日本語なら、お前、名前何?みたいなニュアンスです。 May I have your name, please?が自然です)を繰り返します。最初は意識しないとできません。そのたびに忘れて嫌になります。ですが、それを何度も行なっているうちに無意識下にいきます。すると、自然に言葉でてくることになります。

それを実践の場で繰り返すか、本で学んで入れるかです。最終的には無意識下にないとつかえないので、文法必要無用論は無用だと思っています。どっちだっていい、好きにすれば言いという感じです。

さらに言うと、どうせなら正しく学びましょうと言うことです。必死でWhat is your name?を繰り返し、意識せず話せるようになったとします。無意識下にいるので、考える間もなく出てきます。あっていきなりあなたの口からWhat is your name?と発せられます。訓練のたまものです。でも、そのことがあまりよろしくないんです。これって不幸ですよね。

だからやるなら丁寧にやらないといけないんです。何をどのように学ぶかは大切になります。

ながくなってきたので、また今度書きます。

英語に興味がありどのような方法で学べばよいかのブログをはじめました。ブログは無料です。興味のある方は是非、お越しください。

英語学習法カオスからの脱出

みなさま今日のブログはいかがでしたか。ここまで読んでこられて、最後に英語ブログへのリンクが貼ってあります。どういうことでしょうか。今日の記事がポジショントークだった可能性も否定できないということですよね。

英語に興味のあるかたの助けになると思って著者河村操は書いてるかも知れませんよね。リンク先も無料ですし、このブログは英語に興味のない方も読んでおられるでしょうし、そこに配慮した元ベテラン営業マン河村操の最上級の気配りかも知れませんよね。

さらに先があり、リンク先のブログは無料ですけど、そのブログを書いている河村操の肩書は<英語学習法コンサルタント>となっていますよね。無料でブログを読んでもらって興味のある人にはコンサルを受けてもらうと言うビジネスモデルの可能性もありますよね。(実際に、この学習法に関して話をすると興味を持ってくださる方も多いので、商売にしようと考えているのも事実としてあります)

ポジショントークとはこういうことなんです。なにかの目的があって書いてるんです。人はみなきっと。

すると、次にこの流れは悪いの?と言う話しになってきますよね。悪いかどうかわからないですよね。これを読んでも、なんやだまされた、結局はもの売りたかったんかとなるのと、おー、これは素晴らしい。お金を払ってでも習いたいという意見。ひとそれぞれということなんですよね。

まあ、そういう感じです。結論は出ません。

発信したい人は発信します。そこには責任がともなうので、覚悟を決めて発信します。発信したらあとは市場の判断にまかせるしかありません。このブログをどう評価するかは、そう、あなた次第なのです。

最後までお付き合いありがとうございました。

Youtubeでもいろいろ配信しています。よろしければ是非。