優先座席の番人

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土曜日の朝。朝8時台の車両はさほどでもないのだが9時を回ると車内は混み始める。週の半ばから始まっているバーゲンにでも行くのだろうか、きれいに着飾った若者たちが楽しそうにああでもないこうでもないと話している。

比較的空いている前の方の車両に乗ったのだが、さすがに9時台は席がいっぱいだ。唯一空いているのは優先座席。なんとなくここには座る気がせず、窓際のすみに陣取る。車内にはいる直前におろしたリュックを網棚の上にあげ、ポケットから読みかけの西加奈子をとりだし、閉まるドアにご注意くださいと言うアナウンスでドアが間もなく閉まるのを知ると、大学生風の青年が駆け込んできた。

なんとか間に合ったという様子で大きく息を吐く青年。一息ついて落ち着いたのか空いている席はないかと車内を見渡した。前から後ろへと視線を配ったが席が空いてないのに気づいた。しょうがないなという顔を一瞬したのだが、優先座席が空いているのを確認したら、彼は、そちらの方向にあるきだした。

座るのか?と一瞬思った私のこころを見透かすように彼はシートにどんと座った。座る寸前にグレーのスウェットの右ポケットから取り出したスマホを右手に持ち座ると同時にスマホの画面を右手親指でスクロールし始めた。優先座席は全部で8席。彼が5人目の人だった。他の4人はOL風の友達同士が2人。休日出勤の30代サラリーマン1人。50代の女性ひとりだった。

外見から100%の判断はできないが、見た感じ、誰も優先座席に優先的に座れる人間ではなかった。そんな光景をみていると電車はまもなく動き出した。わたしは栞を他のページにさしかえ、西加奈子の読みかけの小説に目を落とした。落とした目線は文字をいちおう追ってはいるが、まったく脳に入ってこなかった。

空いている優先席に座る彼らが気になってしかたなかった。そしてわたしの思考はスタートした。優先座席って何だ?と。

その疑問について脳の中で照合を始めた瞬間、はっとした。しまった、おいおい、わたしは自分がとんでもない間違いを長い間していることに、思考を始めたとたんに気づいたのだ「優先座席って、優先やん」声になったかもしくはならなかったかはわからないが、その言葉がリフレインした。そうなのだ、優先座席は優先座席であって、決して専用座席ではないのだ(写真はイメージです)
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体の不自由な方やお年寄り妊婦などに優先される席であって、それは決して専用座席ではないのだ。なので、周りに優先座席を利用する必要のある人たちがいないのであれば、その場所を、開けておく必要はない。そんな人たちが見当たらない今現在は、彼らに何のマナー違反も罪も存在しないのだ。

わたしはそんな目で彼らを見てなかった。優先座席にどうどうと座るのってどうなのよ。どうかしてるぜと懐疑の目を向けていた。それは間違っていたのだ、わたしの偏見だったのだ。今現在、周りには優先座席を必要とする人間がいないのであれば、そこに座るのはまったく問題ないのだ。そこは専用座席ではないのだから。

いやいや、あなた。今頃なにいってんの。そんなことはとうの昔からみなわかっている。問題はそこにはないのだ。問題は、果たして、そこに座っている人たちが、本当にそこまで考えているかどうかなのだよ。彼らが、もし、次の駅で、そこを必要としている人がのってきたときに、すっと席を立ち、そのひとたちに席を譲ったのならあなたの見たては正しい。

ところがほとんどの場合、そうじゃない。だから、我々は、他の席が満席で、周りにそこを必要としない人たちがいなくてもそこには座らないのだよ、という声が聞こえてきそうだ。実際そういうことなのだろう。だから、優先座席は満員電車でそこを必要とする人がいないにも関わらず空いているケースが多いのだろう。

はたして彼らはどうなのか。

急に気になりだした。西加奈子は相変わらず開いているが、紙面をぼーっと眺めているわたしの意識は完全に彼らにとらわれていた。次の駅についた。乗客が数名のってきたが、そこを必要とする人はのってこなかった。

わたしは次の駅を待った。次の駅に止まった。すると50代の娘さんであろう人物と、その両親であろう人物がのってきた。お年を召したカップルは娘さんに支えられるようにのってきた。

娘さんはカップルのあとから車内にのりこんだ瞬間に目線をあげあたりを見渡した。両親が座れる席は空いてなかった。しかたなくその場に立とうとした瞬間、ものすごい勢いで立ち上がるものがいた。

青年だ。私が乗った駅で、ギリギリに駆け込んできた青年がいちはやくたった。ノーマークだった。わたしは、右奥に座っているOL風の二人が、夫婦に気づき席をたつだろうと踏んでいた。彼女たちに目線をあずけているそのときに、死角から彼の右肩が飛び込んできた。

「こちらへどうぞ」

と、スマホを左手にもちかえ、フリーになった大きな右手で席を指した。ご夫婦と娘さんは会釈をし、娘さんの介添でふたりは優先席に腰をおろした。青年はなにごともなかったように窓際に移り、どあに左肩を預けて、ふたたびスマホをスクロールしだした。

彼だったか。わたしは自分のあてが外れたことをあやまった。ごめんね青年よ、あんたは立たないと思ってたわと、心の中で謝罪した。

優先座席に座っている人たちを、今までは、この人達は、ほんとにもう、しょうがないんだからと思って十把一からげで見ていたが、もしかしたらそうではないかもしれないと思った。もしかしたら、優先座席を、そこに座る人が周りにいるにも関わらず、我が物顔で座る人間からその席を、いざという時に、優先席を利用しなければいけない人がくるときのために、自分が守るのだという思いからそこに座っている人間がいるかも知れない。

彼らは自らを、優先席の番人として、責務を果たしているのかも知れない。

もし本当にそうだとしたら、それは本当にすばらしいことなのかもしれない。あいつ若いのに、どうどうと優先席に座りやがってという目を浴びながら職務を遂行しないといけないのだから。