分析力

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常にもう少し掘る。

分析で飯を喰っているスペシャリストから河村さんは分析で飯を食えるひとですと言ってもらう。河村さんは色々すごいけど一番の凄さは分析力にありますねと言ってもらえる。これはどうも俺は人より分析力が高いんだなという仮説を立てて進んで行くことにしようと決めたのが数年前。今もそうしている。

河村さんの分析力の高さはどこからきているのか、どうやって分析をしているのか分析してくださいと言われて、今それに取り組んでいるが言語化や論理化に苦労している。自分が無意識にできる部分の言語化は難しいが、これは恐らく色々な人の役に立つので続けていきたいと思う。人の役に立つのは自分のためということが解ったのでこれからは堂々、世のため人のために頑張っていける。『世のため人のためは自分のため』のキャッチフレーズのもとがんばる。

さて話が横にそれたので戻すが分析について少しわかった。深くモノゴトを分析するのに必要な考え方は色々あるが、そのひとつに、当たり前を疑えというのがある。どこかの週刊誌で得た情報をそのまま鵜呑みにするのは論外だが、それっぽく書いてあるのも疑って考える。それってほんまか?と。

一般的に広く言われている万人が知っている常識というのは信じて受け入れやすい。それが正しいかどうかってのは別問題なので横に置いておいていただきたいのだが、まあ、信じやすい。そのまま受け入れてしまいがちである。ところが、それを、そのまま疑うな、それはちょっと違うよ、こういう風に見てごらんと、一歩切り込んだ、常識を疑えという意見がたまに出てくる。まさに、今私がここで提案している考え方。

これが出てくると、これを鵜呑みにする人が出てくる。なんか、それっぽいからだ。おお、この人は一歩切り込んで、皆が信じている常識をそのまま信じることをせず、さらに深堀りして考えている、なんかすごそうと、今度はそれを鵜呑みにしてしまう。

常識に一石を投じると、それが一瞬本当かなと思ってしまう。普通の人とは違う行動に圧倒され、その意見自体を見るという行為を辞めてしまうのだ。これでは分析力を養われない。大切なのは自分で考えること。

例えばこういうことがあった。テレビか雑誌の特集か忘れたがおもてなしとかマナーの話をやっていた。そこにでてきた人と人の距離の話。人には自分の回りに快適空間がというのがあって、そこに入ってこられるとうってなる。あまり、親しい関係でない人にそこに入られると不快になる。親しければ、親しいほど近づかれても不快にならないという。知らない人とエレベーターに乗ったらきまづいのでエレベーターの数字を見てそれから意識を遠ざけるという話があった。

人に快適空間があるというのはなんとなく解っているが、それをあらためて言語化され、そういう風な例を提示されると一瞬おお、なるほど、すごいとなる。それを前から知っていた人は、そうやで、俺は知っていたよと知らない人が多いので悦に入ることもできる。そこにある、感動と悦に入るという感情で思考停止になり、それを鵜呑みにしてしまう。

分析力をあげようと思ったら、そこでおい、ほんまかそれってなる。すると必ずしもそうではないという事がわかる。この理論だと親しければ親しいほど近くにこられても大丈夫ということになる。恋人なら接触しててもふかいどころかむしろ歓迎する。

ところが必ずしもそうではないことがある。例えば満員電車。もう自分の快適ゾーンも何もないほど人は密着している。そんな中考えていただきたい。右側の腕には知らない中年のおっさんと密着している。向こう行ってとも言えず、離れることができない。嫌だけどしかたない。

逆に左腕、ここは、異性の同僚の腕がひっついている。同僚なのでもちろん、左隣のおっさんよりは中がいい。普段はこれほど接近しない。特に異性と意識したことがないが、腕と腕が直接触れ合っている。

どうだろう、どっちの腕のほうが気になるだろうか。先ほどの理論で行くと、親しいほうが快適空間の輪は小さくなるはず。そうすると左側のおっさんより右側の同僚のほうが親しいから、どっちかというと、左手のほうが嫌である。ところがおそらくそうはなっていない。

普段これほど近づくことがない同僚と接触する右手はなんとも言えない微妙な感じになりとてもきまづい。もはや左手の意識はまったくない、おっさんの存在自体も消えているほどだ。

親しくなればなるほど近づいても平気だという先ほどの理論からいくと右手のほうが大丈夫で左手のほうが気になるはず、ところがそうはなっていない。

分析力をあげるひとつのキーワードですね、この常識を疑え、鵜呑みにするなという話。クリティカルシンキングという技法だ。常識はほとんどの場合が正しい。だけどそれでも、いちど自分で疑って、その理論が正しいなと考えてから受け入れると、そのまま鵜呑みにするのと全然違ってくる。

結果的にはそれを受け入れることになるので、結果を考えるとまったく同じなのだが、そこに行き着く過程が全然違ってくるということになる。常識を疑えが分析力アップのキーワードのひとつとなるのはどうやら間違いないようだ。ちょっと進んだよよっしー^^