不毛極まりないサーフィン。それでも絶対にやめられない理由とは

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インドネシアのバリ島の海を隔てた向こう側に高速艇で40分位走ると到着するレンボーガン島という島がある。そこにサーフィンしにいった

沖からうねりが押し寄せる。それが海の中にあるサンゴ礁にあたって波が崩れる。その崩れる瞬間の波に乗るのがサーフィンというスポーツだ。サーフィンに適した感じで波が割れるにはさまざまな条件が整わないといけない。

サンゴ礁が岸と平行に並んでいて、そこに岸と平行のうねりが押し寄せてくるとする。するとサンゴ礁にぶつかったうねりは一気に崩れる。一気に崩れると波を走っていくスペースが一気になくなるのでサーフィンできない。

サーフィンに適するには、右か左から順番に崩れていくのがいいのだ。それにはサンゴ礁が斜めにならんでいるか、もしくは、うねりが岸に平行ではなく、斜めに入ってくるとかがいいのだ。

それらは場所や潮の満ち引きによって違ってくる。これに風の影響も関わってくるので、っその時その場所へ、サーフィンに適した波が割れるってのは、ほんと奇跡に近いくらい偶然なのだ。

先にはいっているサーファーに「こんにちは、調子はどうだい?」って声をかけると、ほぼ例外なく「さっきまでよかったんだよね」と言う。これは波がはかないってのを物語っているのだが、同時に、俺は最高の波にのったぜっていいたいというのもあるのだ。

多くの場合、そう答えたサーファーもたいした波にあたっていない可能性が高い。先にきてるのに後からきたサーファーにいい思いされたらたまったもんじゃないからね。

このように、サーフィンをしていて、いい波にのれるってのは本当にむずかしいのだ。それでも、俺たちは、いつかのあの波を求めて今日も西に東に走り回るだ。

そんな奇跡的に起きる波。万が一、目の前に現れたら、そしてその波に誰ものらないのなら絶対にのらないといけないのだ。そんなチャンスが短い人生で、あと何度チャンスが巡ってくるかわからないからだ。是が非でものりたい。

じゃあ、乗ればいいじゃんとなると思うのだが、実はそうは問屋がおろさない。目の前にはいってくる、あなたの近くにむかってくる波にのるのはそう簡単ではないのだ。

尋常ではない、圧倒的な筋肉がまず必要になってくるのだ。

波に乗るには、波が沖から岸に向かって進んでくるスピードに同調する必要があるのだ。この波のスピードは波がおおきければ大きいほど速くなる。そのスピードにあわせるためにはサーフボードの上に腹ばいになって日本の手をクロールのようにぐるぐるまわして、みずをかいて進んでいくしかない。

これが強烈にしんどいし難しい。

まず水をしっかり捕まえる技術が必要とされる。水をつかめないと進めないからだ。技術が身についたら次は筋力。しっかりつかまえた水の抵抗にまけない背筋や僧帽筋や胸や腕の筋肉が必要なのだ。

これが相当大変。継続的にトレーニングかパドリングをしていないとこの筋肉はすぐにおちる。普段使うことがないからだ。だから、俺は、その1本蓮ボーガンの沖に入ってくる波にのるために1年間筋トレをすることになる。

不毛なんてもんじゃないが、それをしていないと、奇跡の一本をみすみす見逃すことになるのだ。

しかもその連ボーガンのポイントには川のような潮の流れがある。クロールで50メートルを50秒で泳ぐ程度のスピードで腕を回し続けないと、波のほうにいくどころか、その場所をキープすらできない。

今年の流れはいつものようにきつく、1時間ずっとそのペースでパドリングしつづけて、ようやくその場所をキープできた。ところが、そこからは動くことができず、波に乗るポイントまでいけたのは、流れが弱くなった2時間後のことだった。

そのあいだのほとんどを腕をただ回し続けるのである。そうでないと、その場にすらおられない。

それでもサーファーは、来年もその場所にいく。そこにたつ最高の波にのりたいからなのだ。

サーファーって変態である。そんな仕打ちを受けるために、その波にのるためにトレーニングを欠かせない。欠かすことによってその波を逃すのを知っているからだ。

そこに波がなければ、おそらくその仕打ちに誰も耐えれないだろう。それほどの魅力が波にはあるのだ。

もし機会があったら体験していただきたい、もしかしたら、それはあなたの人生を帰るものになるかも知れないのだから