人脈はできるもの。人脈を作ろうと異業種交流会にいくのはちょっと違う。

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人脈は金脈ではない

今、私がやっている仕事の9割が人のつながりや人の紹介で始まったもの。

本当にありがたいし感謝している。独立する時に人脈は大事だぞと言われていたが本当にそうだと思う。ただ、私はこの人脈って言葉があまり好きではない。金脈とか、鉱脈みたいな響きがあり、なにか、金のなる木だぜ、へへへ、すげえ鉱脈を引き当てたぜって感じがするからだ。

異業種交流会に人脈を作るために出かけるのは、ツルハシをかついで金脈を掘り当てに行く感じがして嫌なのだ。金脈を探してツルハシで掘り当てる行為自体は、金稼いでやるぜって感じがするので全然悪くないのだが、人を金脈みたいにするのが嫌な感じがするのだ。

とはいえ、人脈という言葉が違う概念でも使われているので使ってもいいのだが、仕事を得るために人脈をつくりまくるというのは性に合わない。別にええとか悪いとかはない、自分は嫌だからやらないということだ。

人脈というのはほおっておいても自然発生的にできてくる。誰かと遊びに行ったときにそいつが友達をつれてきた、とか、バイトに行ったら、バイト先でバイト仲間や経営者と知り合いになったとか、それはその時だけで終わることもあるし、なにか妙に馬があってそこから竹馬の友みたいになることもある。そういうのは極めて自然発生的なものであり、こちらがいくらこの人脈をキープしておきたいと思っても、できないケースもあれば、特段連絡をとらなくてもそのまま残っていくのもある。

そんな友達や知り合いのあいだでビジネスがはじまることがある。

紹介から始まる仕事のすばらしさ

俺が今英語を教えている生徒さんのひとりは、サーフィンの後輩の義理のお父さん。その後輩とバリに一緒に行った時に、後輩が俺が英語を話しているのを見た。そして、お義父さんが英語を始めようと思っているとその後輩に話した時、じゃあ俺の先輩から習ったとなった。もうひとり去年高校を卒業した男の子を教えているが、その子もサーフィンの友達の息子さん。そのサーファーのともだちとはおそらく20年前に知り合った。

そんな感じで仕事をいくつかしているが、それはそれはもうとても幸せで最高だ。人と人とのつながりで始まる仕事は、まあ、それ以外に始まることなどないのだが、それが知り合いや友達だったりしたら、なんとも言えない感じがある。

友達とはお金のやりとりはない。ところが仕事となると金銭の授受が発生する。そこはとても慎重にならないといけないところだし、とてもすごいことだ。そこにはお互いの尊敬が必ず存在する。

以前ブログにも書いた、石川県に住む俺の師匠であり友達であり尊敬する経営者は、これでもかというほど友達や、仲間や、弟子や後輩や先輩に仕事を依頼する。そこが他より優れているとか安いとかなど一切関係なく、知り合いに絶対に頼む。なかには、思ったほどではないときもあるが、それに対して一切文句を言わない。わしが頼んだのじゃからのうって感じでいつもいる。そこは本当にすごいとおもう。感動して泣けてくる。

コミュニティーってのがある。

昔からそんなのは存在するが、最近流行りなのか、コミュニティーって言葉がよくでてくる。俺もいくつかのコミュニティーにはいっている。そんな中で仕事が発生することがある。それも前述の友達や知り合いで発生する仕事と同じでとてもいいものなのだが、仕事をとるためにコミュニティを持つ、コミュニティにはいるってのは、人脈を作るために異業種交流会に行くのに近い気がするので俺はやんない。

なんども書くが、ものごとの何がよくて何が悪いかなんて知らない。だから好きか嫌いかで書くしかないので、好き嫌いで書いている。何が正しくて何が正しくないかなんてわからないので、どうぞよろしくお見知りおきいただければと思う。

こんな事で悩んでいるんですよと友達から相談された時、それなら、こんな人がいるよ、いちど話聞いてみればって紹介できるのは、本当に幸せなことだと思う。

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