自転車の空気入れの話

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とあるコミュニティーではコミュニティーに所属するメンバーのために自転車の空気入れを設置している。その空気入れが壊れたので新しく買おうという話になった。コミュニティーの幹部会議での話だ。

ある幹部が言った

「結局、昔からある洗濯バサミみたいにはさんでつけるやつが一番いいんですよ」

と。おおお〜と思った。そうそう、なんか細い棒みたいなやつを差し込んでねじり込んで留めるタイプのが新しいのだが、あれはいまいち使いづらい。はさむやつがいいなあって思ってたので、すかさず追従した。

「ですよね、結局あれがオーソドックスで一番使いやすいですよね、私もそれがいいと思います」

このあとの流れなのだが、普通ならどうなりますか。賛同してくれた仲間に追従してくれた同士に一瞥をくれてうなづき、ありがとう友よ、さらにこの意見を押していくよってなると思うのですよ。俺なんかは、絶対そうなります。最新式がいいなあと思っている人が多かったらどうしよう。古いのを押していいのだろうかと。そんな中に同士があらわれたら「でしょ、でしょ、やっぱはさむのがいいんですよ」って言っちゃいます。

ところが驚いたことにそうはならなかった。

その人は、私なんかに目もくれず。まったく同じセリフをもう一度言った。

「結局、昔からある洗濯バサミみたいにはさんでつけるやつが一番いいんですよ」

しかも、先ほどより少し声を張って。

ええええ〜ってなった。無視かよ、スルーかよ。賛同だけは受けるのかよ。『私は貝になりたい』という中居くん主演の映画があったが、そんな気分だった。そして私は貝になった。

結論から言うと空気入れは最新式が導入された。おっさんが放った意見は、時代遅れやんけという感じで一蹴されたのだ。彼は致命的なミスをおかした。俺を同士にしておくべきだった。賛同を得られたから、これはいけるとふんだんだろう。そして手柄を独り占めしたかったのだろう。彼は俺もおっさんだというのを忘れていたのだろう。おっさんどうしが言ったことが通る可能性は低い。

だからこそタッグを組むべきだったのだ。俺をスルーしたのがだめだった。若者から反対意見がでたとき、彼は俺の方をチラッと見た。だけれども俺はもう貝になっていたので正面を見据えたまま動かなかった。彼の視線を顔の左半分でとらえてたが今頃みてもだめよって感じだった。

人はひとりでは生きていけないのだ。最新式の空気入れは壊れそうにない。俺もおっさんも最近動きづらくなった指をつかって小さいネジみたいなのを回して空気を入れる。空気を読む、空気を変えるってのは大事なはずなのに。