人間力がある人は、どの瞬間でも美しいしカッコいい

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プロサーファーがサーフィン中の写真をとる。どの瞬間をきりとってもそれはカッコいい。
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波が沖から入ってきて、波を追いかけて、乗って、波の上を滑って、波がその生命を終えたら、波から降りる。その全てが最高に効率のいい動きをしているから、皆が、プロたちのようにサーフィンできたらいいだろうなとおもっているから、そのどの瞬間を切り取ってもそれはあまりにもかっこいいのだ。

そうでない私のカットは、そうでもない。
2013-10
決して悪くはないし、ここまでの写真はなかなか残せないが、プロと比較すると、微妙に違う。この技を決めるなら、もう少し後ろのほうがいいし、あと5センチほどお尻が高く、もう少し上体が被っているほうがいい。

ほんの少しだが、足りない。サーフィンのレベルがあがれば、もう少しいい写真が残せるようになる。

プロのその瞬間がかっこいいからといって、そこをまねる、形を真似るだけなんてのは愚の骨頂である。
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この一見アンバランスのトップターンは最高にかっこいいのだが、これをやろうと、この形を真似しても意味がない。この形がこの場所ででてきたのは結果だ。

ここにくるまでに正しい動きをしているから、ここで最高の形になったのだ。しっかりした基本に忠実なボトムターンがあるから(ボトムターン↓)
P1110706
結果としてトップターンで最高に美しい形になるのだ。そこだけ切り取ってかっこつけても意味がない。

TEDのプレゼンがかっこいいからといって、カッコいいスライドを業者に頼んで作って、身振り手振りをつけながら、完璧な脚本を作って、それを何度も練習して、最高なものを作っても、中身がともなってなければだめだ。

最近思う。

うまいって、本当にいいのだろうか。

うまいのはいいが、うまいだけってどうなのだろう。歌とか絵とか文章とかプレゼンとか。うまくないのに、どちらかというと下手なのに、やたら共感を生んだり、聞いていて感動したりするものがある。そういうのを聞いたあとに、やたら上手いだけのを聞いたりしたら、うまいってなんやろうと思ってしまう。

当然、下手より上手いのはいいに決まっている。内容が同じなら、上手いほうがいい。下手なプレゼンは、聴衆者に負担をしいることになる。でも、中身がない上手いより、中身が最高の下手のほうが断然いいのだ。ということは、中身が、コンテンツが最高ってのが最低絶対条件になる。

では、その最低絶対条件を生み出すものはなんだろうか。

それが、ついにわかった。感動を与えてくれる、色々なものを、河村総研で調査研究分析した結果、感動を与えてくれる人が、共通してかならずもっているものがわかった。それは、うまい歌でもいい声でも、上手なプレゼンでもなかった。もちろんそれは大事だが、下手でも感動を与えてくれている人はいる。そういう人たちが共通してもっているものとは、

人間力

だ。

なんなんだ、この人。噛むし、何を言ってるかわからない。だけども聞き終わったあと、スタンディングオベーションをしたくなるほど感動した、いいものをくれたって人たちに共通してあるのは人間力だ。

中身もいい、プレゼンも上手い、最高に役に立つセミナーだったけど、なんかいやだ。そういう人は、人間的に、なんかちょっと違ったりする。

人間力ってなんだろう。いい人でないといけないのかというとそうではない。河村総研が定義する人間力は

当たり前のことを当たり前のようにできること
フラット思考
自己肯定
失敗力

を持っている人のことをいいます。人間力がある人って、こういう考えをもっています。

あいさつができて、約束を守れて、しっかりとお礼を言える。義理人情みたいなものですかね、人間としてあたりまえのことですが、これができていない人がほとんどです。

これってベースに相手をおもんぱかる気持ちがないことからはじまります。

ビジネスシーンでもまったく同じです。アタリマエのことをあたりまえにできる人が本当にすくない。なので、逆に言うと、それを学ぶだけで、圧倒的に優位にたてます。

ビジネスコーチングでは、これを最初にやります。それさえできれば上位10%に確実にはいれますからね。

自己肯定とか、フラット思考の説明は、また機会があればやりますね。

アメリカでコーチをしている友達と、今週末会うことになったり、

コーチングってのをもっと普及させなあかんよねとつぶやいたら、賛同してくれるコーチがあらわれたり、

コーチをして欲しいと言う人があらわれたり、

テレビで、自殺者が年間3万人もいるというのを聞き、そういう人たちにコーチングは作用するのかと考えたり

ここ最近はしていた。

最近はクライアントさんをとっていなかったコーチングだけど、もしかしたら、このコーチングで救われる人がいるのかも知れないと思い始めてきた。コーチングって、俺って、コーチだぜ、すげえだろうって感じの人が多いので、なんか胡散臭くていやなのだが、そうじゃない人もたくさんいる。

本当はもっと求められるものではないのだろうかと思う。

人間は弱いから、すぐに壊れそうになる。だから宗教というのが根強く残っている。理不尽でどうしようもないときに心を救ってくれるのは宗教であったりする。宗教はちょっとという人は自己啓発に救ってもらう。

人間は弱いのだ。

自分で自分を救えるようになったら、最強だなあって思う。そのためにセルフコーチングというのはある。いつまでも依存してもらえればコーチは儲かるが、それでは意味がない。

どんどん卒業してもらわないと意味がないのだ。

週末は敏腕コーチと会うので、そのあたりについても話をしたいなあと思う。

差別意識がなく、あいさつができて、自分に相当自身があるのに、偉そうでない人は、もう生きている感じが、どこをきりとってもカッコいい。プロサーファーはどこできりとってもカッコいいよに、プロ人類は、人生のどこを切り取ってもカッコいい。

人前にいるときだけ、偉い人の前だけ、カッコつけていて、庶民の前では横柄なやつは、切り取られた瞬間によっては、ひどい顔をしてたりする。ガンジーとかマザー・テレサって、きっとどこを切り取ってもカッコいい。

持つべきは人間力。

簡単ではないが、むずかしくはない。