ただひたすら放出する。迷惑は一応システムで回避している。

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ギブとかおこがましい気がする。
コントリビューションもなんかちょっと偉そうな気がする。

誰もくれって頼んでいないし、貢献してほしいって言ってない。なのに自分からあげるよ貢献してあげるよってのはエゴなのではないだろうかとずっと思っている。それでも自分で考え調べてわかったことは皆に伝えたくて伝えたくてたまらなくなる。

それって自己顕示欲のあらわれではないかとずっと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。経営学者の楠木健さんがその著書の中で、人は考え抜いてわかったことは誰かに伝えたくなる、それは本能みたいなものだと書いておられた。これだって思った。ただの欲だったのだ、自分をどう見せるとかではなく、ただ伝えたくなるということだったのだ。

おおいに納得した。私が書きたくてたまらなかったのは欲だったのだ。どうりでなと妙に納得した。ところが問題は、そんな話はほとんどの人にとってまったくどうでもいい話だ。上腕を外転させてクラブを握れば、脇を締める意識はまったくいらないとか、後ろ足は抱え込むように曲げることはあってもお尻を落として板に近づくことはないとか、の話は、ほとんどの人にとってまったくどうでもいい話なのだ。

でも、それを伝えたい欲はおさえられない。ではどうすればいいのか。それについて散々考えた末にたどりついた答えが

放出

なのだ。関西圏の人だと、はなてんと読みたくなるだろうが、読み方はほうしゅつ。ただただ解き放つのだ。後ろ足を引きつけるように曲げるとサーフィンうまくなったよってのをただただブログに書いて放出する。それを読めとか、それが正解だとかいうのはまったくない。

ただひたすら書いていく。ブログはそういう意味においてとても都合がいい。読みたくなければ、それがうっとうしいと思う人は、訪問しなければすむ。読みたくない人に迷惑はかけない。読みたい人だけが読める最高のメディアなのだ、放出魔にとって。

ギブとかコントリビューションではなく、放出って決めてから、本当に俺は幸せになった。書きたいことを書いて、放出すればいいだけだからだ。

そんな放出に反応してくださる方がいる。あなたの考え方が私のゴルフ上達の役に立ちました、ありがとうございましたとか、オフザリップができるようになりましたとか。

これほどの幸せはどこにもない。自分のやりたいようにやってほとんど誰にも迷惑をかけない。公序良俗に違反さえしなければ、なんだっていい。こんな最高な放出、あなたもいかがですか。きっと天にも登るほど幸せになると思いますのでぜひ