傾注しない。むしろ出来ない。
ちょっと待ってくれ。なんやこのメソッドは。俺が求めていたものが全てここにある。これしかない。やるしかない。よし、ちょっと高いけど思い切ってやってみよう。と英語完全習得プログラム3カ月コースを受講したとする。
徹底的に調べる。国内外にある英語習得法を徹底的に調べて選んだ。簡単に広告に踊らされて飛び込んだのではない。今の時点でナンバー1の習得法だとの判断で選んだ。
わくわくして受講をはじめる。完璧だ。私の思っている通りに進んでいく。この方法でやっていけば間違いなく習得できるだろう。漏れもダブりもないMECEだ。私の目に狂いはなかった。
そして3カ月が終了。あとは自宅でやるプログラムをやるだけだ。これで1年後には相当凄いことになっている。ようやく俺は英語をものにすることができるのだ。
ところがそれから2カ月後、私はそのプログラムをプログラム通りにはやっていない。いや、英語は続けて勉強している。むしろプログラムが求める以上にやっている。でも、その通りにはやっていない。その通りにやったら完璧だという答えをだしているのに、やっていない。
いつもそう。英語に限ったことではない。色々な分野でこれを繰り返し続けている。あまりにも繰り返すので考えてみた。なぜそうなるのか。
そして答えが出た。原因は二つ。ひとが作ったものをやるのはいや。そして考えるのが好き。この二つがあるので途中でやるのが嫌になるのだ。完璧なプログラムを探しているときは楽しい徹底的に考えているからだ。
うーん、このプログラムほぼ完璧だけど、ここがちょっとたらんなあとか、このツールいいけど、これがいらんなあ。これが抜けてここがプラスされたら完璧なのになあと思う。考えまくって選ぶので楽しい。
でも見つけて決まった瞬間に考えることが終わってる。あとはその完璧なプログラムを言われたとおりに遂行するだけだ。そこに一切の思考は必要ない。与えられた事を言われたとおりやるだけだ。
ここで実行のエネルギーが一気になくなる。
考えていないと動けない。考えることが何よりの好物。傾注することは、考えを放棄すること。だから私は傾注出来ない。
傾注することが、良いとか悪いとか。考えることが、良いとか悪いとか言ってるのではまったくない。
単純に考えることが好きで、傾注することが苦手なだけ。あしからずご了承を。
追伸:
このブログで不定期に発信していました<営業マン河村操シリーズ>はスピンアウトしてメールマガジンになりました。毎週火曜日に配信する予定です。もし興味を持っていただいていたなら是非メールマガジンをご登録くださいませ。