社交ダンスの師匠と弟子が、京都の立ち食いソバ屋で繰り広げた経営方針を巡る痴話ゲンカはどこか凜とした空気を漂わせていた。

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「先生は嫉妬してる」

京都駅西口近くにある立ち食いうどんの店で、夕食までまだしばらく時間があるにも関わらず、空いてきた小腹を満たすため天ぷらうどんを食べていた。

いつも人でごったがえしている店内がアイドルタイムというのもあってか比較的すいていた。私は食券を店員に差し出し「うどんで」と言った。この店はそばとうどんの食券が1枚で併用されており、食券を出すときにどちらをのぞんでいるかを告げるシステムになっている。

うどんにするかソバにするか直前まで迷ったが、表面に浮き出す天ぷらの油としっかり絡むうどんを今日は選択した。

「天ぷらうどんお待たせしました」

立ち食いうどんならではのスピード感で、足下に、背負っていたリュックをおろすまもなく、麺が供給された。ありがとうの意味で軽く会釈をしたわたしは、七味をたっぷりかけて、麺に箸をつっこんで、麺をすくい上げた。そして、一口目を口に入れた瞬間に聞こえてきたのが50代後半であろう女性の冒頭の言葉だった。

「いや、絶対にそう、わたしに嫉妬している」

そんなことないと言った60代後半の男性の声をさえぎって、輪をかけるように、そう言い放った。

「どうして俺が、おまえに嫉妬しなきゃいけないんだ。バカなことを言うな。お前はいつもそうやってひと言おおいんだ。だから、吉田とかさなえに、あんな風に言われるんだ」

おいおい、なんだなんだ、これは、ちょっとおもしろいことになりそうだぞ。話している内容も高尚で立ち食いうどん屋で、めったに聞けるモノじゃないぞと、久しぶりの劇との遭遇に、わたしは麺を口に運ぶペースをすこし落とすことにした。はやめに食べきってしまって、途中で退場したらもったいないことになる。

「さなえさんの話とか、今はいいです。先生は嫉妬してるんです。なんですか、500円でやるなんて、恥ずかしくないんですか、みっともない」

年齢からくるものなのか、ダンスの先生同士だからなのか、台詞回しがいちいち質が高い。完全にケンカなのだが、どこか、なんとなく品がある。

いったい、どんな人が言い争っているのか確認したく、私は首を右に振った。やたら姿勢がいいものすごく素敵なスーツをきた2人がそこにいた。2人はソバを食っていた。先生はあきれぎみに彼女を見ていたが、彼女は、絶対に許さないわよという顔で先生から目線をはずそうとはしていなかった。

「先生は、集客をたくさんする私に嫉妬しているんです」
「なにを、言っておるのだ、しょうもない。そんな事はわしはおもったことはない。お金のためにダンスを教えようなんて思った事はいちどもない」
「じゃあ、なんですか。3000円の授業料を500円にしたのもお金の問題ですか。いやあ、そんなことは絶対にない。安くしたらいっぱい集まると思ったんでしょ」

おいおいおい、なんだなんだなんだ。こんなにも生々しい劇が、立ち食いうどん屋で見られるなんて。わたしは、ライオンキングを最前列でみてもこんな臨場感を味わえないだろうと思った。これは、うどんがなくなったら、追加でおにぎりを頼んででも、この場所にしがみつかなきゃと気合いをいれなおした。

それにしても3000円を500円ってえらく下げたなあ。やすっと心の中でつっこんだ、うどんをはきだしそうになるくらいおもしろかったが何とかこらえた。どうやら、この2人はダンス教室の運営やマーケティングの話をしているようだ。

「ばかなことは言うな。集客なんてどうでもいい。値段を下げたのは、まったく踊ったことがない人にきてもらえたらいいと思ったからだ。お金うんぬんの話じゃない」
「うそだ」

このうそだのトーンとイントネーションで、ああ、このふたりはおそらくなんか男女の何かがあるのかなあと推測した。弟子にしては師匠にたてつきすぎだ。しかも師匠は、これだけ言われているのにきれない。

そして何より、結局この2人はケンカをしたまま、席を立ったのだが、そのときに師匠は弟子のカバンを持ってあげたのだ。おそらく私の読みは大きくははずれていないだろう。このふたりは何かある。

「もういい。この話はおしまいだ。おまえとはなしているといつもこうなる。もういいだろう、お前とはダンスの話はしたくない。俺は、文なしになってもダンスをおしえる。体が動くなるまでは、おしえようと思っているんだ。お前にはわからない」
「先生は、わたしに嫉妬してるんだ」

女性が放ったプンプンという感じの語尾のあげかたに、若干いらっとしたが、女の人はいつまでたっても乙女だなと、恋に年齢は国境もないという誰かの言葉を思いだし、歌詞の中にロミオとジュリエットや寛一お宮がでてくるユニコーンの古い歌があたまに流れてきた。

「バカを言うな、この話は終わりだ帰るぞ」

と言って先生は急に立ち上がり、女性のキャリーカートもひっぱって店をでた。

「やだ、帰らない」

と女性は言って立ち上がり、先生の後をついていった。

おにぎりを頼むまでもなく、終わった劇。わたしもちょうどうどんを食い終わったので、店をでた。北を見て南を見た。南に向かっていく先生の後を、2メートルほど後ろから弟子がついていっていた。
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その姿はあまりにも美しく、さきほどまで、うどん屋で痴話げんかをしていた2人にはとても見えなかった。社交ダンスの先生たちは、新幹線の改札があるほうに歩いて行った。関東に帰るのだろうか。標準語をしゃべりながらソバを食べながらのケンカ。

品があるように見えたのは東京のかただったのだろうか。彼らの姿が見えなくなるのを待って、いまいちおちがわからない劇だったなあと思いながら、琵琶湖線のホームに続く階段を降りた。