50ミリ単焦点レンズを使い始めて4日目。で、わかったこと

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世界はすでにそこに存在する、ということが痛いほどわかった。レンズを購入して2日目に大阪の福島の街で一枚の写真を撮った。その写真をSNSでアップしたら師匠にさっそく褒められた「一気に良くなった」と。
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限りなく一重に近い超奥二重のつぶらなひとみが3歳児のそれに相当するほど大きくなり、喜びの度合いをあらわした。

福島のこの店の看板は、おそらく何日も前からこの場所にある。何ヶ月も前かも知れないし、何年も前からかも知れない。ずっとここにあったわけで、私に撮られるためにいきなり出現したわけではないのだ。

そう、世界はすでにそこにあるのだ。

写真はその一部を切り出して、世に出す役割がある。そこには撮り手の主観がはいる、コンセプトがはいる。何人もの写真家が、その前を通り過ぎただろう。その中で何人がその看板を切り取って世にだしたのだろうか。

そういうことなのだ。

それ以降写真を撮りまくっているが、その9割9分がしょうもない。箸にも棒にもかからないないような写真だ。しょうもない写真には、よい写真がもつような、コンセプトと理由がない。それ場所自体がおもしろくて、それを切り取ったコンセプトと合致している必要がある。

これは文章もまったく同じ。文章も世の中にすでにあるものを文章で切り取ったにすぎない。そのシーンに切り取ったコンセプトを入れて書くことでしか、おもしろさを見いだせない。

前に歩いていた人がスカーフか何かを落として、それを拾ってその人に渡したことについて書いた私のエッセーがある。こんなことはそこら中で起こっている。落としたものを、拾って、落としましたよと声をかけるだけだ。

ところが、それを切り取った私の思いと、そのシーンが見事にマッチし、その記事は多くの人に読まれ、このブログで一番読まれた記事となっている(といっても2300pvほどしかないが)

梅田をあるくOL風女性が落としたカーディガンを拾っただけなのに

写真を始めたことが、おもしろい文章を書くために必要なことを教えてくれた。

世の中はすでにある。あなたがどこをどうきるのか、そして、その理由は?

それを考えることで一気に素敵になる、あなたの写真も、文章も、絵も、アートも。

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