東京池袋にあるつけ麺専門店に行った。池袋に行ったときは結構な頻度でよるお気に入りのつけ麺専門店。まあまあうまい。
この店のつけ麺。つけだれは2種類。魚介ベースで普通と辛口がある。人気は辛口で、わたしは辛口をたのんだ。
わたしが席についたと同時に、右横のサラリーマンたちが食べ終え、あいた2つの席にカップルが座った。女の子のほうがわたしの隣になった。
「やっぱり夏は辛口だよね」
とギャル風の彼女がサラリーマン風の彼氏に言った。だよねと彼氏は答えた。わたしもこころの中で、彼らの会話に参加し、やっぱ辛口だよねと標準語で言ってみた。声に出すのは難しいなと思った。イントネーションが難しいからだ。
そんな馬鹿なことを思っているとまもなくつけ麺がきた。さっそく口をつけたがやはり上手い。夏は辛口だよねともういちど、頭のなかで言ってみた。まもなくして、となりのカップルにも辛口がとどいた。かれらもさっそく口をつけ、やっぱ辛口で正解でしょと、ギャル風がサラリーマン風にささやいた。
わたしが、つけめんを3分の2食べ終わったころ、ギャルが3分の1、サラリーマンが半分を食べ終わったタイミングでサラ風彼が、ギャル風かのに言った、
「わりい、ちょっと水とって」
言われたギャルは顔を左にふった。まもなくわたしの正面においてある水がはいったピッチャーを発見した。
今度は首を右にふって彼氏をみて、あれ?というジェスチャーをした。あれ以外他にある?という感じで彼氏はうなづいた。
その様子を体の右側で感じ取っていたわたしは、取りづらいだろうからとってあげようと思った。ところが、そのタイミングで、麺をつけだれの中に先っぽから半分くらいをつけて、まもなく口にいれようとしていたのだわたしは。
またまた心の中で、ちょっと待ってね、これをすすりあげたら、とってあげるからねお嬢さん、2秒だけまってと言った、こころの中でね。
遅かった。
彼女は2秒が待てず、左手をわたしの右肘のあたりから伸ばし始めた。その左手は、右肘と右手首をつないでいる、右前腕と4センチの幅を保って、みごとに平行にするするとのびていき、ピッチャーの持ち手をつかんだ。
重いよ、とまたまた心の中で叫んだ。すでにピッチャーから水を何度かコップに移しているわたしは、その重さをしっていた。ギャルのかよわい、しかも左手では、持ち上げることができない。だから、まっとけって言った、いや、思ったのに。
細い左腕の先にある細い指がついた手がピッチャーのハンドルを掴んだと思ったら彼女はそれをまず上にあげた。4センチほど上空にあがったところでギャルは声をだした
「うっ」
なんとなく嫌な予感がして、麺をくちいっぱいに放り込んで、リスのような頬になった状態で、つけだれが、白いTシャツにとばないように前かがみになっている状態で、上目づかいに、ピッチャーをみた。
4センチあがったピッチャーは、ピザの斜塔のように、上のほうが少しさがり、地球に対して鉛直ではなくなった。軸が傾いて重力によって上部がひっぱられ、ギャルが持っているグリップを支点に反時計回りに回り始めた。
遠心力と重力が、ギャルのか細い手首を甲側に曲げた。その曲げが回転半径を縮め回転は加速した。そして、その加速はピッチャーの外側がわたしのおでこに当たった時点で0になった。
「やばっ」
とギャルが言ったと思ったら、すぐに続けて彼氏が
「す、すみません。大丈夫ですか、おまえなにやってんだよ」
と言った。わたしはおでこでピッチャーを支えたまま、麺を口にほおばったまま、割り箸をもっていた右手を軽くあげた。
やばいよぜったいに、その重さを支えられないよ、おれが取るから3秒だけ待ってと思っていたころから、この展開をある程度予想していたのと、一番固いおでこで受けたのとで、別段騒ぎ立てることもなかった。
ギャルはわりばしを離して右手をピッチャーにもってきて両腕でピッチャーを持ち上げた。それでも、重そうだった。
「すみません、だいじょうぶですか」
とギャルは、申し訳なさそうな顔でわたしの顔をのぞきこんだ。ギャルの向こうからは彼の顔もみえた。同じように申し訳なさそうな顔でこちらをみていた。
わたしは、上体を起こし、おでこをさすりながら、口をもぐもぐさせながら、顔を右に振り、
「全然大丈夫、まったく問題ない」
とできるだけ標準語のイントネーションで、さわやかに笑った。周辺にいるつけ麺を食べているお客さん、席があくのを待っているお客さんが、笑いをこらえているような感じだったような気がした。
カップルはしばらく恐縮していたが、わたしは、こんなおいしい話をありがとう。つけ麺もおいしいし、2重においしいやんけ、ありがとうと、こころのなかで、上手いこと言ったなあと自分をほめながら、スマホで、ピッチャーの写真を撮ったのだった。