説明するために生まれてきた。
1965年に生を受けこの世に誕生した。まあ100歳まで生きたとして2065年にこの世を去る。私が生まれる前もそして死んでからも、おそらく人類は地球上に存在する。
世の中には現象がある。もしかしたら私は、その現象の中のいくつかを、私の説明が一番わかりやすいと思ってくれる人に、その説明を届けるために、生まれてきたのではと、フと考えた。
そう考えた途端、なぜか、急速に心が穏やかになり、やるべきことが見えたような、見えたというか、もともとぼんやりとあった使命が明確になった気がした。おそらく、これが私が生きている意味だろうと、そんな気になったのだ。
例えば英語学習法。私は英語が大好きで長きに渡りその習得に力を注いできた。紆余曲折、試行錯誤を繰り返し、独自の学習法を発見した。学習法は世にあまたある。だから、わざわざ、私のやる方法をやる必要はないのだが、もしかしたら、そのやりかたが、ピッタリくると言う人も存在する。
だから、書く、話す。おお、ありがとう、今まで全然だったけど、御所の方法でやってみたらできたよ、という声を聞くとこれほどの喜びは他にないのではと思うほど嬉しくなるのだ。
残りの人生、おそらく長くても50年。できるかぎり、世の迷える人のお役に立ちたい。お役に立つことがそのまま、わたしの生きがいになるのだから、利害が一致している。聖人君主的な立場で語っているのとはまるっきり違う。
自分の快楽を満たすために行なっている。いわゆるwin-winの関係。
これを使命としてもいいような気がするな。
以下わたしがお届けできる方法論。もしあうようなら是非
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- etc