先天的スキル。
これに関してはあまりいじらないほうが良い気がする。センスとか才能とかに近いスキルだ。なぜいじらないほうが良いのか。それは無意識で行なわれている場合が多いからだ、この先天的スキルは。
無意識で出来ているものを意識に上げてくるのはそもそも大変だし、そんな事をしてもあまり良い事はない。男子のプロゴルファーで芹沢信雄プロというかたがいる。彼は2メートル前後のパーパットが上手かった。日本一上手いとジャンボ尾崎プロが認めた。ジャンボ尾崎プロはその当時のスーパースター。
彼が言うなら、相当なものだろうと、教えを乞うものが、芹沢プロのもとに殺到した。彼はせっかくだからと、何も考えずに打っていたパーパットにどう打つかのhowをつけた。説明するには必要だったからだ。
来る人来る人に説明しまくった。その結果
彼のパーパットはぼろぼろになった。まったく入らなくなったのだ。後に彼は語っている。「まったく無意識で打っていたのに、聞かれたから説明しようと、どうやっているかを考え始めた。すると、まったく入らなくなった」
その後、彼のパーパットはまったく入らなくなった。これはおそろしい事と肝に命じた。例えば、私の文章独特だと言われる事が多い。良い文章だとおっしゃってくれる方もいる。例えばどうやって書いているのですかと聞かれたら、どうしようか。
この教訓を持ってすれば、申し訳ないがわからない。無意識で書いているんだ、というのが一番良いような気がする。まあ、今のところ聞かれる事はないが、きかれたらそう答えよう。盗んでくれと。
どうやって書いているか考えだすと、なんか壊れるようで怖い。もっとレベルをあげるにはそれも懸命だが、今のところ間に合っている。もっとを求められた時に考えるとする。私の弟もパットの名手。一度聞いてみた。どうやって打ってんの?説明してくれたその日、彼のパットはぼろぼろだった。兄弟対決は心理戦で勝利した兄のものとなった。
一方で営業、ゴルフ、英語、サーフィンは私に取って完全に後天的に得たもの。その上達過程が逐一手に取るようにわかる。わたしは上記のどれも得意ではなかったからだ。その学ぶ過程を鮮明に覚えている。それを伝えても私のスキルが壊れる事はない。
みなさんも、人に何かを教えるとき、すこし注意してもらえると良いかも知れない。先天的なものなら充分な注意が必要だ。