ブログの非情さを受けいれよう。残念ながら記事のほとんどがあまり読まれない。それでも書くことに意味はある

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1時間ほどかけて書いた記事が1ヶ月でpvが100前後ってことがある。

この記事は分析も調査も徹底的におこなった良記事。満を持しての投稿だ、えい〜と公開のボタンを押す。もちろんSNSでもブログ更新のお知らせをいれる。

ところが、待てど暮らせどいっこうにアクセス数が伸びない。たいして盛り上がりもせず、ネットという宇宙の藻屑と消え、やがてブラックホールに吸い込まれる。

よくて3割のヒット数なので10中7つはそうなる。

じゃあ、洗練された記事をもう少し頻度を落としてやろうと思うかも知れないが、ますます悪路にはまる。いいかどうかを決めるのは読み手だからだ。

いくら自分が100点と思っても、外の評価は10点以下なんてザラなのだ。より研ぎ澄まして書いたのに、まったく読まれないなんて平気である。

では、どうすればいいか。

残念ながら、すごい方法ってのはない。全力で書いた、自分で最高と思えるものをコンスタントに配信していくしかないのだ。もちろん、毎回ヒットすれば嬉しいが、そんなことは、よほどのブロガーでないとない。

一般的なブロガーは、全力で書き、配信し、だめでもだめでも、腐らず書いていくしかないのだ。プロでもないわたしのブログ。たまにヒットするだけでもありがたいと思っていないといけない。

自分の中では、こんなにいい記事読まない人は損してるなあと思ってはいるが、評価は読みてがする。こればっかりはどうしようもない。
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それでも、その記事が誰にも読まれないことはまずない。最低でも10人位は読んでくださる。そして、たまにこういったメッセージやコメントをいただく、

「ブログ楽しく読ませていただいております。続けるの大変でしょうががんばってください」

とか

「目からうろこです。ありがとうございます」

とか。もう、この瞬間のためにやっていると言っても過言ではない。自分が書いたものが、誰かの役に立ち、こころを動かしているって最高ではないか。

遠い昔には人類は社会性を持って生きていくということを選んだ。自分が社会の成り立ちに貢献していることが本質的な喜びになる。人間は生き残るために、助けあって生きていくことを選んだ。

自分のブログがその一端を担っているって幸せではないか。

めんどくさいし、ネタはないし、誰も読んでいないし。もうブログなんてやめてやると何度も思った。でも、読んで喜んでくださる方がいるかぎり、書いていこうと思う。

たかがブログ、されどブログだ。

誰かに強制されてやるものでもない。あなたがしたいようにすればいいのだ。たまにはさぼったっていいのだから。