処理能力および対応力が求められる約束やオファー

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出来る限りオファーをかけないし安易に約束をしない。なぜなら処理能力が低いからだ。

これは営業マン時代の反省からくる。安易に「じゃあ、今度持ってきますね」とか言ってた。販促物だ「河村くん、鎮痛薬の陳列を変えたいんだけどPOPとかある?」とクライアントに頼まれたら「ありますあります、今度持ってきますね」と安請け合いした。その時は、当然、持っていくつもりで、手帳にも書くのだが、優先順位が低い約束なので、どうしても後回しになる。

また今度ご飯でも行きましょうという社交辞令よりは重要な約束なのだが、22日の15時から社長室で商談ねという約束よりは重要度が低い。私はこういった、約束を不履行しまくっていた。期限も数量も明確でない約束なので、それに関して直接文句を言うクライントもほとんどいなかった。わたしは気にも止めなかった。

ところが、ある日、クライントに言われた。大きな商談を進めていく中で、クロージングでオッケーをいただき、受注にいたった。そして、わたしは、ありがとうございますと頭を下げたあとだった。

「河村くん、今日のは買うけど、もうこれで最後な。あんたは、お願いばっかりで、こっちがお願いしていること全然やってくれへんやろ。ポスターとかPOPとか持ってくるゆーて、全然もってきてくれへんやん。もうええから」

言葉がでなかった。情けなかった。当然約束は覚えているが、重要度が低いと判断し、処理してなかったのだ。社長は先に社長室を出て行った。わたしは、情けなくて、その場にしばらく立ち尽くした。それでも、最後に買ってくれた社長の顔を向けられなかった。

社長室を出た時、社長は次の用事で出かけていた。事務所におられた社員に挨拶をして、得意先をあとにした。その日は、それ以上営業活動ができなかった。また、やってしまった。以前のわたしは、約束不履行があたりまえだった。それを反省し、約束はすべて手帳に書くことにしていた。おかげさまで、それは徹底していたのだが、書いただけで、細かいのを履行しなかったのだ。

営業車で行くあてもなく担当エリアをぐるぐると回りながら、情けない自分を責めた。夕方近くまでそうやっていたあと、これ以上、こんなことしてても拉致があかないと、車をとめて、手帳をとりだだし、履行していない約束をすべてあたらしいページに書きだした。支店の店長にお礼を言うという、ちいさいものまで含めると50近くの約束が不履行だった。

再び自己嫌悪にさいなまれ、立ち尽くした(写真は米子駅前のオブジェ)

そうしていても拉致があかないので、決意をして、履行していない約束をひとつづつやっていくことに決めた。10ヶ月以上前の約束もあった「POPを書き直す」あまりにも古いので、なんのことかピンときていないクライアントもいたが、かまわず片っ端からやっていった。

それを言うことで、怒られなくてもよかったかも知れない案件で怒られたりもした。それでも、そこを譲っては、また元の木阿弥だと思い、続けた。

それと同時に、もうひとつ実行した。約束をできるだけ受けないようにしたのだ。お得意さんからのオファーをできるかぎり、伸ばした。ポスターを持ってきての依頼を事情を説明して伸ばさせてもらった。私のいい加減さが原因でこういうことになっている、あとタスクが20になっている。10になったら受けるので、今しばらくお待ちいただけますかと、言って回った。当然、おこるクライアントさんもいたが、頭を下げて飲んでもらった。

それから、一進一退を繰り返しながら、現在は、ようやく、不履行の数が年間で5本以下になった。ほんとうは0を目指しているのだが、ついつい仲の良い友達や、家族には甘えてしまっている。今年度は3を切るようにし、来年以降は0にしたいと思っている。

実はこれを実行しようと思うと弊害もある。何かの誘いに対する断りが、一般的な人より速いのだ。
「なあ、みさお来週の土曜日なんやけど、時間ある?みなでご飯食べに行こうとおもってるんだけど」
「ちょっとまってな」
とカレンダーをみたあと
「あかん、予定ある」
と言う。比較的こういう人は少ない。ちょっとまって、また連絡するわって人が多い。私は、これをしない。してしまうと、連絡を忘れるからだ。だから、即効断る。これが冷たい奴ととられかねないが、不履行よりは全然ましだ。不履行で痛い目をあっているわたしは、そちらを選ぶ。

約束を守りなさいなんて、小学校の最初に学ぶのに、50を迎える今になってもまだできていない。なんとか来年には完全履行といきたいものだ。それと同時に処理能力と適応力をあげて、オファーと約束の数を増やしていきたいと思う。