物事を上達させるにおいて一度は通過したい理屈という名の理論

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最後は感覚なんです。

目の前に2メートルもの大波が迫ってきて1立方メートルあたり1tのパワーを持つ水の塊が自分を押しつぶそうとしているときに両手のひらを胸の横について腕立て伏せの要領で押し出し右足を胸に引きつけてつき、それから左足を出してなんてやってられません。目の前のアメリカ人がステーキにかけるソース何にする?って聞いているのに、ソースは名詞、最初のwhatは疑問代名詞なのか関係代名詞なのかSVOか、SVCかなんてやってたら、しびれを切らしたウェイターにのぞんでもいないオイスターソースをかけられてしまいます。

そんなのはもう現場では完全に感覚とか反射とか無意識のレベルでやらないといけません。理論なんて理屈なんて考えていたらとてもではないですけど間に合いません。カンでフィーリングでのりこえてください。とはいえ、理屈がいらないのか理論なんて机上の空論なのかと言うと、そうではないと河村総研では考えています。そんなもん現場で通用しないからやらないという理屈は違うのではないかと私たちは思っています。

現場では通用しませんが、我々は現場に行く前に色々考えたり練習したりします。ゴルフでもコースを廻る前に練習場でスイングを習得するために何千発も球を打ちますし、英会話のために単語を覚え構文を理解します。そのときには論理が理論が理屈があったほうが圧倒的に効率がいいと思うのです。正しい動きは反復練習によってみにつきます。

悪い癖や間違った動きがいっこうになおらないのは、それをずっとやってきたからです。どうしたってその悪い動きが何かの時に顔をだします。インサイドに引きすぎる癖をなおすにはもう少しアウトサイドにあげるという動きを何百回も繰り返さないといけないのです。そのときに理屈は大いに役に立ちます。

極めて感覚てきですが、丁寧に理屈にしたがって理論にそって体の動かし方を型を意識してつくっていくと、それがやがて無意識下に行く感じがします。最初はまったくできなかったタッチタイピングが無意識でできるようになったり、車の運転みたいに無意識でクラッチを踏めるようになるような感じです。それを最初から無意識でやると、センスが良くそれが上手くできる人はいいですが、そうでない人がやるとそれが変な癖になったり、我流といわれるものになったりします。

そのためには絶対に最初にもしくはある程度たってから理論を机上で習ったほうがいいという思いから、私たちは会議室でサーフィンやゴルフや英語(これは当たり前か)を教えているのです。

技術は現場で身につけるのではない会議室で身につけるのだという理屈で私たちはやっています。正しい体の動かし方口の動かし方を習いたい人は是非に。