惨敗。第3回みさお夜会

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今日は3月30日。名前を数字に当てはめる事ができて、しかもそれがカレンダーの中に収まるのは、そんなに多くないと興奮し、この日を『みさおの日』とし、その記念にと第3回みさお夜会を開催したのだが、大不評のもとに幕をおろした。

みさお夜会は、コミュニケーションというひとつのテーマについて、わたしがネタを作り、それを漫談という形で提供することで、笑いながら、コミュニケーションについて学んでもらおうというものだ。セミナー形式でしっかりやるのもよいのだが、楽しく笑いながら学ぶ形もひとつくらいあってもいいかなと、やってきたのだが、ここにきて、おおきくつまづいた。

選りすぐりのネタを3つ用意して臨んだ。まったく盛り上がらないまま終了した。そのあと、どうだったか、お客さんの声を聞いたのだが、感想は散々なものだった

「ご飯を食べながら話してるほうがいい。わざわざ、会場を借りて話すほどのものではない」
「これって、面白いの?笑いを取ろうとしてないよね」

意見をいただいたときは、そんなにひどいのかと茫然自失だったが、そのあと自身で反省会を開いたところ、そう言えば、過去にもおまえはおもろないとレッテルはられたのが、どんどん出てきた。

「みさおは、自分が思っているほど面白くないよ」
「その話って深いのですか?」
「期待していたほどじゃなかった」

とか。みさお夜会の1回目2回目はまあまあうけたし、過去のライブでもそれなりのがあったのだが、そう言われると思い当たるフシがある。これは受けると投じたネタが、全然受けないということが最近増えてきた。もしかしたら、俺が面白いと思うことはおそろしくマイノリティなのかも知れない。

みさおしが面白いと思うところ言ってみって言われて、言ってみたら、それってオモロイかってなった。とは言え、わたしの話を聞いて笑ってくれる人もいるので、マイノリティではあるがゼロではないということにはなる。

今回の一件で肝に銘じることは、俺の笑いは、全然おもしろくないということはないが、おもしろいと思ってくれる人はそんなに多くないと言うことだ。

それを踏まえて、今後どうしていくべきか考える必要がある。マジョリティに向けて、面白いの方向をかえていくのか、それともマイノリティでもいい、お前はオモロイという人に向けて生きていくのか。それとも、笑いを捨てて、まじめに講義や講演やトークライブをしていくのか。

さあ、どうする俺。とんだ『みさおの日』になっちまった。