ギブ・アンド・テイクって言葉がある。
知らない人はいないと思うが持ちつ持たれつだぜみたいな意味。
「おいおいおい、だから、お前はだめなんだ。先にテイク、与えてくれくれっていうから上手くいかないんだよ。違うぜお前ら、ギブ・アンド・テイクって言ってるじゃん。ギブが先だよ、先に与えるからリターンがあるんだぜ」
と賢者は言う。
それを聞いた人は、
「うーん、そうだよな。欲しい欲しいばかり言っててもだめだよな、先に与えるのは当然だよな。ギブだ」
ってなってるが、その話を聞いていつも思う
与えてやるから、おかえしせえよ
って、なんか偉そうじゃない? 生意気じゃないか、って。
見返りってのは、結果だからね。それを意識してギブしてる時点でダメなような気がする。
そ、そうなんだよな、俺もそれは思ってたんだよ。そう、お前がいうとおりだよ、見返りなんか期待するのはだめだよ、テイクは意識しちゃダメだよ
「ギブギブギブだ。見返りなんか期待せずに、与えるのだ。与えるってのがダメなら貢献するのだ」
ってひとたちもでてくる。おおなるほど、見返りを期待していないから、ギブ・アンド・テイクより全然いい。ただただ、与えること貢献することをやっていれば、それは絶対にかえってくるよ。神は、天は見てるからねって感じなので、いい感じだよなあとは思う
でも、実はそれでも、まだ偉そうっていうか、余計なお世話っていうかって感じがする。
受けてのほうにしたら、いやいや与えてって頼んでないし。ほしいって言ってないのに、勝手にギブしてるだけでしょ、別にいらんよって、感じになるような気がするのよね。
与える権利をはたして我々は持っているのかって思ってしまうのだ。与えるって、なんかなあって思ってしまうのだ。貢献ってのはもちろんいいけど、それって、相手からオファーがあってからだとおもうのだな。ギブでもいいけど、それは、ちょうだいって言われてからのような気がする。
give me chocolate
って頼んだあとに、チョコをくれるのはいいけど、ジープの上から、ほら、チョコだぜ、ギブしたげるぜ、さあ欲しいんだろ、拾えよってのはちょっと違う気がするんだ。
じゃあ、どうするかって話なんだけど、俺が思うに、俺達ができることは、ただひとつ
放出
だと思うんだよね。ハナテンじゃないよ、ほうしゅつね、ほうしゅつ。
おれは、こんなことが好きで、こんな研究をしてきた。結果、プロサーファーは、俺のようなへたれサーファーより、後ろ足に乗っている比率が多いってことがわかった。気がついたらほとんど俺は後ろ足にのっていなかった。そして、ちょっと後ろ足にのってみたら、相当上手くなった。もしかしたらこれって、俺と同じようにやっている人の役に立てるかもしれない。
と思ったとする。
そう思った私はどうするか。
ブログでその理論を書く。そして世に放つ。つまり放出するのだ。
それだけだね、俺ができることは、あとは野となれ、山となれ。それをテイクするのは受けての自由。無視してもいいし、なんじゃこれとディスってもいいし、どこかに捨て去ってもいいし、これ好きだってなってシェアするのもいい。
放出して、世の中におちているものを、拾ってどうこうするのは、受け手側の自由なのだ。勝手に与えるってのはどうも違う気がする。
リリース
だね。
ギブ・アンド・テイクでもギブギブギブでもコントリビューションでもなく
リリース
だ。俺たちにできることは解き放つことだけだ。解いて放つ。
それが一番心地いい、そんな気がするのだがいかがだろうか。