究極の普通

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自分が掘りたいと思うところを掘ればいい。金やダイヤモンドを見つけるという目的があってもよいしやみくもに掘ってもよい。自分で始めるという事が大切なのだ。ここ掘れと言われて掘るのものよいがここになんかありそうと言う事で掘り始めるのはテンションがあがる。しかも自分の選択なので比較的継続する。

今、掘っている項目は普通。普通っていったいなんなのか、普通の定義はという事からはじめてまもなく本質にたどり着きそうである。実は普通ってかなりすごい。例えば相手とコミュニケーションをとるとき、自分の主張を伝える必要があるとき、出来るだけ解りやすくするというのが普通の行為だ。

こちらの話しをするのに相手に負担をかけては申し訳ない。例えばどうしてもその人にゴルフの話題を話さないといけない状態になったとする。相手がどれくらいゴルフについての知識があるかをまずは探らねばならないだろう。そして例えばOBというルール上の言葉があるがその言葉を相手が知っているか。知らなければ説明しないといけないし、知っているようなら必要はない。

こうやって考えるといっけん当たり前である普通の行為が極めて難しく思われる。シンプルだけど簡単ではない。そうなると普通って難しいじゃないかって事になってきた。ひとつの普通を極めるだけでも難しい。となると、それを2個も3個もものしていけば唯一無二になる可能性がある。

そうなのだ。究極の普通は普通じゃないのだ。ややこしいがそうなのだ。唯一無二の存在になるというメリットに加えてもう一点よい事がある。ねたまれづらいということだ。出る杭は打たれるということわざがある。でもこの杭はきっと打たれない。

「おいおい、なんか2課のあたりから杭が出てきたぞ、打たなくて大丈夫か?」という問いにも「ああ、あれはほうっておいても大丈夫です、普通だから」ああ、普通ならいいやって事になる。

この極めても極めても角が立たない究極の普通。あなたも目指してみてはいかがですか。