書くって強烈。プレゼンやスピーチやフリトークやファシリテーションのスキルをあげたいなら書こう。

シェアする

書いてきてよかったとつくづく思う。

書くって読み手を強烈に意識する。それはわかりやすいか、読みやすいか、おもしろいか、読んでいて楽しいか、無駄に時間を奪うものではないか。書いているときは、書いているあいだ中それを考えている。そうやって書いてきたことにより、1日8000字を年間300日くらいを5年続けてきて6年目に突入する。

書いているあいだ中それを意識しているとやがて脳の中にわかりやすく伝えようとする回路ができてくる。文章を本格的にならったりしたことはないが、さすがにそれだけを、ほぼ毎日くりかえしやっていると、最初の頃にくらべると随分わかり易い文章がかけるようになってきたように思われる。

それによる副産物は色々あるがその代表がスピーチ、話すことだ。話すスキルは間違いなくあがる。話し言葉や書き言葉と言った違いはあるが、人に何かを正確にわかりやすくという面においてはなんら変わることはない。そう、書くことが確実に話す力をつけることになるのは間違いないと私は断言する。

あなたは話し始める。1分もしないうちに人々が聞く姿勢を失ったとしたら、それは間違いなくあなたのせいだ。人は聞いている話の内容が、わかりにくい、論理的でない、おもしろくない、長いという理由で話を聞くのを突然辞めてしまう。開始して1分くらいは、どんな人でも聞こうと努力する。そんな短時間で聞いている人がざわざわそわそわしだしたらそれはあなたの責任なのだ。

この1週間はいつも以上に、人前に立って話したり、色々指示をだしたりしたが、あらためて言葉の大切さを感じた。わかりやすく明確にしっかり伝えないと人は動けないし、正しく動かない。それは伝える側の責任が大きい。私は人前で話したりすることにあまり抵抗はないが、それイコールそれが上手かというとそうではない。一方で、書いてきたからそこそこしゃべれるのだなあというのも同時に実感した。

もちろん書かなくても、話しながらスキルをあげるという方法もあるが、書いて伝えるほうが話して伝えるより難しいので、難しい方で言葉の力をあげるというのはありだ。

とはいえ、これはあまりにも帰納法的で、サンプルもひとつしかなく説得力はないが、書いてきて話せるようになったひとりのおとこの事例だととらえて参考にしていただければと思う。

おいそこの、最近あんまり書いていない弟子よ。書かな知らんで。